新米小坊主の小話 戦国時代の軍師と仏教との関係

こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。

今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、仏教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。

サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。 

(*´▽`)ノノ

今日のアイキャッチの画像は、本日の話にも登場する黒田官兵衛(如水円清)が築いた中津城(なかつじょう)の写真です。

(*^-^*)

 

戦国時代の軍師と仏教との関係


 

戦国時代にはさまざまな武将が活躍したことは過去のブログでも触れさせていただきました。

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戦国時代には戦国大名を支える

 

軍師(ぐんし)

 

と呼ばれる人の存在が欠かせず、軍師の能力によって領土を大きくもできれば、逆に滅亡への道を歩んでしまうこともありました。

有名なところでは、豊臣秀吉を支えた武将で大河ドラマ『軍師官兵衛』のモデルにもなった

黒田官兵衛

(くろだかんべえ:西暦1546年〜1604年)

がよく知られています。

軍師の役割は非常にたくさんあり、戦いの全体的な構想を練る

 

戦略

 

を立てることや、戦いの最中での兵の扱い方を状況に応じて(臨機応変に)指揮する

 

戦術

 

を駆使することや、他の勢力に対しての交渉を行う

 

外交官

 

としての役割を担うなど、とてもたくさんの役割をこなさないといけません。

戦国大名も、家の存続がかかっているので、いかに優秀な軍師を採用するか、場合によっては状況に応じて軍師を複数人使い分けることも必要になってきます。

その中でも、特に軍師は

 

戦いの場面

 

で活躍します。

しかも軍師は先ほどお伝えした戦略・戦術だけではなく

 

いつどこでどのような戦いをするかを決める

 

勝つための縁起をかつぐ儀式を行う

 

討ち取った首を確認する儀式を行う

 

敵味方に関係なく戦死者を弔(とむら)う儀式

 

といったことをしっかりと理解していなければならないため、生半可な知識・学識では軍師は務まらないのです。

こうした知識・学識は、仏教や道教や陰陽道(おんみょうどう)をしっかりと学んでいることが大前提になってきます。

では軍師は具体的にどんなことを行うのでしょうか。

 

1.吉凶を占う

出陣をする時には必ず『大将』を決めて出陣しますが、軍師は『大将』の生まれ月によって、当日の合戦の日時や攻める方角を決定し、さらに細かい規定や段取りを決めたとされています。

これは

 

陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)

 

に基づく考え方を用いています。

五行思想の特徴は、『木』『火』『土』『金』『水』の五つのエレメント(要素)と呼ばれるもので分類され、自然界にあるものはこのエレメントが互いに影響を与えあっているという考えが基本です。

相手の要素を補って強めるものを

 

相生(そうしょう)

 

と言い、逆に相手の要素を抑え弱めるものを

 

相克・相剋(そうこく)

 

と言います。

軍師はこの陰陽五行を巧みに用いて戦に臨むように大将に進言したとされています。

陰陽五行は陰陽道とされていますが、日本では仏教(特に密教系の仏教)と道教が陰陽五行思想を取り込んで独自の発展をしたと考えられているので、陰陽道と仏教は強い繋がりにあると言えます。

密教に関しては過去のブログ記事を参考にしていただけたらと思います。

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2.縁起かつぎ

吉凶を占うことも大切ですが、戦に臨むにあたっては兵士たちの士気を高めることも軍師の大切な仕事です。

具足(ぐそく=鎧)の上帯(うわおび)に特殊な切り方をして

 

「戦ではすぐにこの具足が脱げないようにして覚悟を決めて闘う」

ことを行ったり(上帯切り

 

具足を着ける時には北を向かない

 

といったあらゆる縁起かつぎを行いました。

 

3.三献(さんこん)の儀式

出陣に際して総大将に3種類の酒の肴(さかな)を用意して、それをお酒とともに口にする儀式も行っていました。

最初の酒で

 

打ちあわび

二の酒で

 

勝ち栗

三の酒で

 

昆布

を口にします。

戦で

 

討って 勝って 喜ぶ

 

に通じると考えられていたからです。

今では三献の儀と言えば神前結婚式で用いられることが多いのですが、戦国時代には先ほどの陰陽道と同じく仏教的意味合いを持つ儀式としても使われていました。

 

4.調伏(ちょうぶく)の矢

調伏の矢は、悪霊や怨霊や敵をねじ伏せると言う意味で出陣前に用いられることもありましたが、占いで「戦には吉日」と出たにも関わらずに、さまざまな事情でその日に出陣できない時などに

 

矢を放って吉日に出陣したことにする

 

というつじつま合わせで用いられることもありました。

また、矢をつがえずに弓矢の弦を一度だけ鳴らす儀式を

 

人打ち

 

と言い

 

一打ち=人を討つ

 

という縁起かつぎとして弓矢を用いることもありました。

 

5.首実験

合戦中や合戦後に、家臣が討ち取った敵将の首を大将が確認する儀式であり、討ち取られた首(というか頭)の表情によっては

 

怨霊を封じる儀式

 

も同時に行う必要があります。

軍師が仏教・道教・陰陽道をしっかりと分かっていないと、今後の家の禍(わざわい)となってしまうので、こうした儀式は大変重要です。

 

6.戦死者を弔(とむら)う儀式

戦では多くの人が犠牲になります。

戦で亡くなるのは、何も兵士だけではなく、その土地に暮らす人も犠牲になることも少なくありません。

大きな戦があった場合は、その土地にお寺やお社(やしろ)を建てたりして

 

亡くなった人の霊を鎮める

 

ことを行いました。

お寺を建てなくても、戦国武将が先祖代々お世話になっている

 

菩提寺(ぼだいじ)

 

で、戦死者の供養を行うこともありました。

また、戦となった場所の土地神(とちがみ)さまへの報告と、荒らしてしまった土地への謝罪の意味も込めて、弔いの儀式を行うこともありました。

 

戦国時代の軍師は戦いそのものだけではなく、こうした儀式をもよく理解して活用できなければならず、その儀式には、古来から伝わる仏教を基本として、道教や陰陽道も用いられていたのです。

 

 

<戦国武将ゆかりの地>

 

崇福寺(そうふくじ) 

<画像引用:福岡市の文化財

崇福寺は臨済宗大徳寺派の寺院で、山号は横岳山と言います

30秒くらいの動画での崇福寺の紹介をされています>

2分くらいの動画での黒田家の歴代のお墓の紹介をされています>

慶長5年(西暦1600年)に黒田長政が筑前(現在の福岡県)に入国して以降、現在地に移転され、黒田家の菩提寺となりました。

崇福寺の敷地内には、福岡城本丸表御門を移した山門、名島城の遺構と伝えられる唐門があり、いずれも県指定文化財(建造物)となっています。

所在地:〒812-0044 福岡県福岡市博多区千代4丁目7−79

お問い合わせ:092-651-0398(TEL)

交通アクセス:YOKA NAVI(よかなび)

 

 

皆さんの貴重なご意見・ご感想、大変参考になりますので、お気軽にコメントなどいただけると嬉しいです。

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