新米小坊主の小話 目は心の窓

こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。

今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、密教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。

サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。

(*´▽`)ノノ

今日の『お大師さまゆかりの地』は、四国八十八ヶ所霊場第三十六番霊場 青龍寺(しょうりゅうじ)です。

(*^-^*)

 

目は心の窓


 

私たちは生活の中で、非常に多くの場面で『目』を活用しています。

とりわけ

 

目は心の窓

 

といった諺(ことわざ)はどこかで耳にしたこともあるかと思います。

仏教では、慈愛の眼を持って私たちを見守ってくださり、まるで母のような眼差しで誰に対しても平等に観ておられる観音さまのことを

 

慈眼視衆生(じげんししゅじょう)

 

と表している聖句もあります。

また、過去のブログでも紹介しましたが

 

お布施

 

の中には、お金や知識などを用いなくても、言葉や心があれば誰でもが行えるお布施として

 

無財の七施(むざいのしちせ)

 

を紹介し、そのうちの一つの『眼施(がんせ)』は

 

優しい眼差しで人に接すること

 

であることをお伝えしました。

【関連記事】

リンク:新米小坊主の小話 お布施の本来の意味

 

優しい眼差しの観音さまや、優しい眼差しで人に接する眼施がある一方で

 

不動明王

(ふどうみょうおう)

 

は怒りを表す

 

憤怒(ふんぬ)の目

 

をされていることで知られています。

しかし、不動明王の目はただ闇雲に怒りを表している訳ではなく、その眼差しの奥には

 

何とかして人々を救いたいと願う強い慈悲の心

 

が宿っているのです。

なので、お寺にお参りした際などに、不動明王像の前に立って手を合わせている時に、もし私たちの心に何か疚しい(やましい)ことがあれば

 

不動明王は怒りの眼差しを向けておられる

 

ように感じますし、それとは逆に

 

逆境に耐えている

悩み深く沈んでしまっている

心の救いを求めている

誰かを何とかして救ってあげたい

 

といった心で不動明王像の前に立つ時には、不思議と不動明王の眼差しが

 

慈しみのある優しい眼差し

 

に見えるものです。

彫刻として彫られた不動明王像の目が、その時その時で変化している訳ではありませんが、不動明王に向き合う時の心の在り方が異なるだけで、怒りにも慈悲にも見えるのは、私たちはそこに見えている『目』そのものだけではなく

 

心眼(しんがん)

 

という『心の目』で物事を捉えているからに他なりません。

これは私たち自身にも同じことが言え、どんなに優しそうな目を意識していても、心が曇っていたり、何か疚しい(やましい)心で人と向き合ったり、相手に対して強い嫉妬を抱いていたならば、あなたのその目をみた相手には

 

あなたの心の闇が見えている

 

ことに他ならず、知らず知らずのうちにあなたから人や幸せが逃げていってしまいます

それとは逆にどんなに疲れていても、相手のことを心から思っていたり、何とかしてみんなの力を合わせて困難を乗り切ろうとしたり、大切な人を守ろうとしていたならば、あなたのその目をみた相手には

 

あなたの心の光が見えている

 

ことであり、知らず知らずのうちに人や幸せがあなたに集まってくるものなのです

これが冒頭で紹介した

 

目は心の窓

 

と言われる所以(ゆえん)です。

 

お大師さまは『性霊集(しょうりょうしゅう)』という著書で

 

心暗き時は、すなわち遇う(=会う)ところことごとく禍(わざわい)なり

(まなこ)明らかなれば、途(みち)に触れて皆宝なり

 

と述べられています。

 

欲望や嫉妬で心が暗くなっている時には、見るもの聞くもの全て悪く感じられるが

心の眼が清らかであれば、見るもの聞くもの全てが宝になる

 

というこのお大師さまの言葉や、『目は心の窓』といった諺(ことわざ)、観音様や不動明王の眼差し、『眼施(がんせ)』という言葉からは、

コロナ禍でマスクを着用しながら人と接する機会が増えている私たちにとって

 

目に見えるものだけでなく

それを通して窺い知れる心のありよう

 

を改めて考える機会を与えられているのかもしれませんね。

 

 

<お大師さまゆかりの地>

 

 

四国霊場八十八ヶ所

第三十六番札所

独鈷山 伊舎那院 青龍寺

(とっこうざん いしゃないん しょうりゅうじ)

青龍寺は、お大師さまが弘仁6年(815年)に開創されました。

お大師さまが遣唐使として唐に渡られ、唐の青龍寺で恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から密教の全てを伝授されて帰国の途につく際に、恵果阿闍梨の御恩に報いるため日本に寺院を建立しようと東の空に向けて独鈷杵(三鈷杵)を投げ、それが高野山の松の木(三鈷の松)に引っかかったことが、高野山開創の由来にもなっています。

<青龍寺大師堂>

嵯峨天皇から高野山を賜った弘仁7年(816年)の1年前、高知県のこの地を修行で訪れたお大師さまは、この地と高野山との繋がりを感得され、この地に御堂を建て石造の不動明王像を安置し、寺院の名前を恵果阿闍梨にちなんで青龍寺とし、山号は遥か異国の地から放った独鈷杵にちなんで独鈷山と定めたと言われています。

<約4分の動画で青龍寺を紹介しています>

御堂の建立には、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡って資材などを運び込まなければならず、その際に使用した船は竜の渡しとして近年まで代々大切に守り続けてきたとされています。

<青龍寺三重塔>

明治期までは土佐7大寺と言われ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊を持つ名刹としても知られていました。

<不動明王立像>

本尊の波切不動明王(なみきりふどうみょうおう)はお大師さまが唐に渡られた際に、暴風雨を鎮めるために現れた不動明王に由来しているとされ、航海の安全豊漁世間の荒波を鎮めてくれる御本尊として、今も多くの人々の篤い信仰を集めています。

所在地:〒781-1165 高知県土佐市宇佐町竜163

電話:088-856-3010

交通アクセス:四国八十八ケ所霊場會

 

 

 

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