本日、77回目の
終戦の日
を迎えました。
この日を迎えるにあたり、戦争で失われた全ての命に対し哀悼の意を捧げます。
8月15日が一般的に「終戦の日」として知られていますが、実際に戦争が終わったとされるのは
1945年9月2日に戦艦ミズーリ号上での降伏文書への調印がなされた日
あるいは
1952年4月28日に日本と連合国との間で締結されたサンフランシスコ平和条約が発行された日
とも言われています。
大切な家族や友人を失った人、焼け野原の中で呆然と立ち尽くすしかない人、身体中怪我をして生死の境を彷徨った人、戦地に取り残された人、捕虜となり強制労働を強いられた人、祖国や大切な人を思いながら異国の地で命の灯火を失った人…
戦いが終わってなお苦しい生活の日々が続いたことは、戦争経験をしてきた祖母や、その当時を生きた方々からたくさんお話を伺ってきました。
「失った命は二度と帰ってこん。戦争は誰も幸せにならん。じゃから戦争は二度としちゃいけん。」
10年以上前に亡くなった祖母が、口癖のように私に言って聞かせた言葉です。
理屈じゃないんです
感情だけじゃないんです
憎しみだけじゃないんです
心から私たち次の世代には戦争を経験して欲しくないという
願い
だったように思います。
祖母は8月6日に広島に原爆が投下された日、大きな雷が落ちたかのような音の後に山の向こうから見えたキノコ雲を見てただ呆然と立ち尽くしていたそうです。
それからしばらくして、被曝者がトラックの荷台にまるで丸太を重ねるかのように折り重なって祖母の住む町に運ばれてきました。
「手ぇ空いとるもんは手伝え!」
憲兵さんや若い兵隊さんらしい人が大きな声を張り上げ、祖母たちは近所の人たちと必死になって看病をしました。
「どがいにしたら、こがな怪我になるんじゃ!?」
(どうしたら、こんな怪我になるのか)
祖母は戸惑いながらも次々に運ばれてくる人々の看病をしました。
十分な医療設備もなく、包帯の代わりにボロ布くらいしかなく、用意した水はあっという間になくなって井戸と治療場との間を何度も往復しました。
さっきまで会話ができていた傷病者が、祖母が水を汲みに行って戻って来た時にはすでに息をしていなかったことも多かったそうです。
被曝者や傷病者が毎日次々と運ばれてくる、そんな日々がずっと続く中で8月15日を迎えました。
祖母は玉音放送を聞くどころの状況ではなかったそうで、祖母の兄弟から
「戦争が終わったらしい」
と8月15日の夜に聞いたけれども、今ひとつ状況が分からなかったそうです。
「言うても、まだ怪我人はぎょうさんおるし、戦争が終わったからって何が変わるん?」
とにかく、目の前で苦しんでいる人の治療に携わり、夕方に家に帰る頃には疲れ果ててしまい、少ない食料事情の中で育ち盛りの5人の息子のご飯を作りながらウトウトとしていたそうです。
そんな祖母の身体にも異変が出始めます。
髪の毛が抜け、倦怠感がずっと続き、時折激しい眩暈に襲われる日がありました。
最初は、傷病者の看病での疲れや栄養不足だと思い
「疲れとんか、気合が足りんのかの?」
くらいに思っていたそうです。
のちに、原爆の後遺症だと知らされた時には、祖母が看病していた人たちのように自分もなるのではいか、子供を残して死ぬんじゃないかと凄まじい恐怖に襲われたと話していました。
戦争がもたらした言葉にならないほどの恐怖。
それでも日々は過ぎていく。
いつ自分が死ぬか分からない日々の中、祖母は必死に家族を支えてきました。
年月が過ぎ、食べることにも寝ることにも戦中戦後ほど困らないごく普通の日々を送る中で、戦後の日本は復興への歩みを確実に進み、祖母には孫も産まれ、幸い、原爆症の症状もある程度コントロールできていました。
でも、時々夜中に急に不安に駆られて目が覚めることが多かったとも言っていました。
折に触れ、戦中戦後の話を私にもよく聞かせてくれる中で、私に言い聞かせていたのが
「失った命は二度と帰ってこん。戦争は誰も幸せにならん。じゃから戦争は二度としちゃいけん。」
という言葉であり『願い』でした。
祖母の想い
日本を取り巻く環境はここ数年で劇的に変化し、周辺諸国も含めて緊張が高まってきています。
現在進行形で戦争や紛争が現実に起きていることも周知の事実です。
ロシア、ウクライナ、中国、台湾、北朝鮮、欧米、NATO、国連… 「戦争」「国防」というキーワードを検索すると必ずと言ってよいほど出てくる単語であり、そこには
核兵器
という単語も必ず記されています。
世界が経験した二度の大戦と核兵器使用の恐怖。
各国とも「国防」という名目で軍備増強を加速させる中、唯一の被曝国である日本に何ができるのか。
戦争時代を振り返りながら、祖母は私にこうも言っていました。
「戦争いうんは、人の命よりも大切なものがある言うて始める
戦争いうんは、自分らが絶対正しい言うもん達が始める
戦争いうんは、普通の生活を壊すことから始める」
「戦争いうんは、人の命よりも大切なものはない言うて止める
戦争いうんは、負けたもんを徹底的に痛めつけることができて止める
戦争いうんは、普通の生活を作れるようになってきて止める」
「そがなことを、ずーっと昔、大昔から繰り返してきよる。
戦争を繰り返すのは人間だけじゃ。
お国同士、お隣さん同士、お互いに心から信用できりゃ、戦争なんか起こらんはずなんじゃが、それでも戦争は起こる。
勝ったじゃ、負けたじゃ、得したじゃ、損したじゃ、欲ばかり言うけぇ争いが絶えんのよ。
うちらが望むのは、そがな贅沢な生活せんでも、当たり前の普通の生活ができりゃ、それだけでええのにな。」
77年目の8月15日を迎えて、私には祖母の言葉に対する明確な答えを持ち合わせていません。
ただ、身近な人、大切な人達が、普通の幸せを送るためにどうしたらよいか、その問いに対する自分なりの行動は続けていきたいと思います。
世界中から争いが1日も早く無くなることを心の底から願っていた祖母の想いに応えるためにも。
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