新米小坊主の小話 お大師さまが説く病気の原因と治療法とは

こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。

今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、密教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。

サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。

(*´▽`)ノノ

今日の『お大師さまゆかりの地』は、四国八十八ヶ所霊場第三十四番霊場 種間(たねまじ)です。

(*^-^*)

 

お大師さまが説く病気の原因と治療法とは


 

前回のブログでは、お釈迦さまの時代をはじめとする古(いにしえ)より、仏教と医療は切っても切れない関係にあり、そして日本においても、江戸時代の末くらいまでは、僧侶の『僧』と医療の『医』と書く

 

僧医(そうい)

 

と呼ばれる人たちが当たり前におられたことをお伝えしました。

↓  ↓  ↓

リンク:お釈迦さまの時代の医療と仏教

 

お大師さまは1200年あまり前に中国の唐から密教を日本に持ち帰って広めたことで知られていますが、密教以外にも当時の最先端の文化や土木技術なども学んで帰られています。

その中で、お大師さまは

 

医療

 

に関する最新の知見を密教との関係も含めて説いておられます。

お大師さまは、病気の原因について大きく分けて二つあると説かれています。

 

身体の病

こころの病

 

の二つのことです。

身体の病に関しては

 

適切な診断と薬の処方があれば治る

 

とお大師さまは言われており、これは現代医学でも同じことが言えますね。

こころの病とは、現代医学で言うところの精神疾患ではなく

 

無明(むみょう)

 

と呼ばれる状態のことを指し

 

魂が傷ついている状態

 

のことを言います。

無明にある状態では

 

自分自身が何に迷っているのか分からず

暗闇にいることすらも分からず

苦しみも喜びも分からずにただ無限に近い不安だけが続き

独りぼっちで心が暗く沈み

凍てついた氷のようなこころの冷たさから抜け出せない

 

といったことが永遠に続くかのような錯覚に陥り

 

自分自身を完全に見失っている

 

と言えます。

そして、真言密教では、こころの病を癒すために

 

加持祈祷(かじきとう)

 

を行い、こころの病を癒すことで、傷ついた魂の回復を図ります。

しかし、加持祈祷というのは、日々の厳しい修行を行っている真言密教の行者だからこそ行えるものであり、なかなか私たちが身近に行うことは難しいとされています。

そこで私たちが日々の生活の中で、誰かのこころの病を癒す方法として、相手の不安や恐怖を取り除いて恐れのない状態にする

 

無畏施(むいせ)

 

という方法があります。

無畏施の具体的な実践方法としては

 

無財の七施(むざいのしちせ)

 

という教えの中の

 

眼施(げんせ)

和顔悦色施(わがんえつじきせ)

言辞施(ごんじせ)

身施(しんせ)

心施(しんせ)

 

がこれらに相当するものであり

 

優しい眼差しで相手に接し(眼施)

穏やかな微笑みで相手に接し(和顔悦色施)

優しい言葉で相手を勇気づけ(言辞施)

身体の辛さを少しでも楽にできるようお手伝いをし(身施)

こころの重荷が軽くなるようにお手伝いをする(心施)

 

ことで、無明の状態から少しでも自分自身を取り戻してもらうための手助けをします。

現代医療の世界においては

 

看護

 

がこの無財の七施に通じるものであることは

 

〈看〉が手を眉上にかざして見ることから〈よくみる〉〈いつくしみみる〉を意味し,〈護〉は〈まもる〉を意味することから,〈看護〉とは〈いつくしみの心をもってみまもること〉ということができよう。英語のnursingはnurture(養育・愛着・保育)から派生したものである。

<引用出典:excite.辞書『看護とは・意味』

 

という看護の語源からも窺い知ることができます。

 

私たちの生活においては切っても切れない関係にある身体の病とこころの病。

コロナ禍にあって、誰もが身体やこころの病に陥る可能性があるからこそ、こうした病に対応するために、お大師さまが説かれている病気の原因と治療法を理解するとともに、無明の状態に陥っている人を救い出すための

 

無財の七施

 

が大切になってくるのではないでしょうか。

 

 

<お大師さまゆかりの地>

 

四国霊場八十八ヶ所

第三十四番札所

本尾山 朱雀院 種間

(もとおざん しゅじゃくいん たねまじ) 

種間寺は敏達天皇(びだつてんのう:538?〜585年)の即位6年(577年)に百済(くだら:現在の韓国付近)の皇子から多くの経典とともに仏師やお寺を作る大工を派遣するという勅書が届きました。

経典や仏師たちは用明天皇(ようめいてんのう:?〜587年)の代に渡来し、大阪の四天王寺の造営にあたりました。

四天王寺の落慶法要が終わり、帰路につこうとした仏師たちでしたが、土佐沖で暴風雨にあい、種間寺が建つ本尾山に近い秋山の港に寄港しました。

仏師たちは海上の安全を祈り、約145cmの薬師如来坐像を謹刻し、本尾山の山頂に祀ったことが、種間寺の起源とされています。

種間寺本堂

お大師さまが弘仁年間(810〜824年)にこの地を訪れ、薬師如来像を本尊として安置するとともに、伽藍の整備を行って開創されました。

その時に、唐から持ち帰った種子の米・麦・あわ・きび・豆(or ひえ)の五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたと言われています。

<約4の動画で種間の紹介をされています>

天暦年間(947〜957年)には、時の村上天皇が『種間』の勅額(ちょくがく:天皇が国内の寺院に与える特別な直筆の書)を下賜され、また、江戸時代には土佐藩主である山内公からの庇護も受け、広大な伽藍が配置されるに至りました。

種間寺大師堂

しかし、明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という仏教排斥運動の影響を受け、一時は大変衰退しました。

種間寺 安産の薬師さんと底抜け柄杓

本尊の薬師如来は安産の薬師さんとして知られ、底の抜けた柄杓(ひしゃく)を妊婦のいる家の床の間に飾って安産祈願をし、無事に安産すれば柄杓を寺に納めることとして全国からご利益を求めて多くの人々が訪れています。

所在地:〒781-0321 高知県高知市春野町秋山72

お問い合わせ:088-894-2234(TEL)

交通アクセス:四国八十八ヶ所霊場會

 

 

 

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