退院後の生活の中でエッセイを書いてみた〜英語の先生との出会い〜

 1年以上の長い入院での闘病生活を終え、病院を退院し、義足をつけての歩行にも慣れ、高校に無事復学をしました。

しかし、高校に復学したものの、病気によって上の学年に進めず(留年)、年下の同学年の人たちとなかなかうまく関わることもできず、精神的に悩む時期が続きました。

学校に行くのもつらくなり、退院後のあのハイテンションは何処へやら、長い間学校を休んだり、心に病気のある人が通う心療内科への通ったり、カウンセリングなども受けたりしましたがどれもうまく行かず、学校を退学しようとさえ思った時期もありました。

 当時、私の通っていた学校では、私のような生徒を受け入れた経験がなかったため、先生方もどうしていいかわからなかったそうです(卒業後の同窓会で当時の担任の先生からそんな本音が聞けました)。

そんな私を助けてくれたのは、ある英語の先生との出会いと、「エッセイ」を書くことでした。

 


生まれて初めてエッセイを書く


 

ある時、学校で英語を教えていたカナダ人の先生から

「自分の体験をエッセイにしてみないか?それが君のリハビリテーションに繋がると思うぞ」

と言われました。

当時の私の中でのリハビリテーションは歩く練習やリハビリ室での歩行練習や筋トレのイメージが強かったので、

「エッセイを書くことがリハビリになるの?」

と思い、先生の言っている意味がよくわかりませんでした。しかもエッセイは「英語」で書かなければならず、下手な英語レベルの自分には遥か遠くの目標にしか見えず

「現実的じゃない」

と最初はものすごく拒否しました。でも、その先生は粘り強く

「まずは日本語で自分の今の思いを書き出してみよう。それから英語での添削をしよう」

と言ってくださいました。

 私の通っていた高校では、「英文エッセイ」を書くことはそれほど珍しくなく、大学進学を強く希望する生徒にとっては英作文の練習にもなり、また、当時は新聞社などが主宰する『英文エッセイコンテスト』もあり、優秀賞に選ばれたら海外へのホームステイなどの体験ができる企画などもありました。

 私は「まあ、とりあえず書けるだけ書いてみようか。どうせ暇だし」と思ってまずは日本語で自分の今までの闘病生活や思いなどをつらつらと書いていきました。

最初はなかなか文章が書けなかったのですが、だんだんと自分の中にある感情を書き出していくようになると、面白いほどにいろいろな言葉が出て来ました。

病気になったこと

なぜ自分がこんな目に合っているのか

なぜこんな体になったのか

と言ったマイナスの感情とともに、

初めて義足で歩けるようになった時の喜び

理学療法士の先生に褒めてもらったこと

義足で走ったこと

退学も考えたけど今はまだこうして学校に通えていること

といった感情が一気に出てきて、気がつけば日本語でのエッセイがかなり出来上がってきました。

 日本語でのエッセイを読んだ先生から、

「うん。よく書けているね。自分の思いを書き出してみた感想はどうだった?」

と聞かれました。私は最初は全く文章が書けなかったこと、マイナスの感情が先に出て来たこと、マイナスが出尽くしたらプラスの感情がどんどん出て来たこと、それを自分の言葉として一つにまとめてみた時の驚きと喜びを先生に伝えました。

一通りの話を聞き終えた後、先生は

「さて、ではどうする?英文にトライしてみるかい?」

と聞かれました。私は

「やります!書きたいです!」

とすぐに返答しました。先生は

「分かった。でも、まずは英文も自分で作ってみるんだよ。細かいところは気にせず、わかるところからで良いから書いてみることだ。」

と言われました。それから毎日、私は寝るのも食べるのも忘れるほど自分の日本語エッセイを英文に変える作業を行い、毎日、先生のところに提出してはその場で添削してもらうことを繰り返しました。

先生の指導は非常に厳しく、表現のおかしなところや不十分なところはお構いなしに指摘されました。でも、ただ指摘するだけではなく、

「なぜ指摘されたと思う?」

と必ず聞いてこられました。そのたびに、自分で調べたことや言いたい内容を説明し、自分自身がきちんと理解できているのか、その場で確認しながら進めていきました。

 英文でのエッセイが完成間近となったある日、先生から、

「今度、『英文エッセイコンテスト』がある。それに君のエッセイを出してみないか?」

と言われました。先生は最初からこれが狙いだったようでした。私は苦笑いしながらも

「はい、トライしてみます。もしダメでもここまでやり切ったんで悔いはないです」

と返答しました。

結果は、最終選考まで残り、最終面接も合格し、優秀賞をもらい、他に受賞した9名の仲間とともに、オーストラリアに2週間留学することができました。

ここで私が伝えたいことは、エッセイコンテストで優秀賞をとったことではありません。英語が上達したということでもありません。

 


自分の感情を書き出すことがとても大切


そこまでの過程の中で、自分の気持ちを整理するために、自分の感情を書き出すこと、それに時間と労力を惜しまなかったこと、何よりもこうした作業がリハビリテーションに繋がるという柔軟な発想を持った先生に出会えたことなのです。

皆さんもそれぞれに置かれた環境は違うと思います。でも、どこか身近なところに何かがあるはずだと思えば、そのチャンスを逃すことはないと私は考えます。

もし、私が先生の提案を断っていたら。

もし、私が日本語エッセイを途中で止めていたら。

もし、英文にチャレンジしなかったら。

私は先生から

「re(再び)」+「habilis(適した)」

すなわちリハビリテーションのそもそもの意味である

「再び適した状態になること」

「本来あるべき状態への回復」

を教えてもらったように思います。

最後までブログを読んでくださり、ありがとうございます!

 

 

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2 件のコメント “退院後の生活の中でエッセイを書いてみた〜英語の先生との出会い〜

  1. エッセイを書かれたことが、今のブログ発信の原点なのかもしれませんね。

    苦しい思いも悔しい思いも、信じられる方の助言に心から取り組まれて乗り越えてこられたんですね。

    拝読させていただいているうちに涙が出てきてしまいました。(歳です。)

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