新米小坊主の小話 お寺の『塔』の意味はなんだろう?

こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。

今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、仏教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。

サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。

(*´▽`)ノノ

 

お寺の『塔』の意味はなんだろう?


 

前回のブログにも登場した

 

教王護国寺(東寺)

 

と言えば、真っ先に

五重塔(ごじゅうのとう)

 

を思い浮かべるのではないでしょうか。

↓ ↓ ↓

もちろん、三重塔や五重塔が日本の古いお寺などのシンボルとして知られているものも多く存在します。

ところで、そもそもお寺になぜ『塔』があるのでしょうか?

もともと『塔』は仏教の開祖である

 

お釈迦さまの遺骨

 

すなわち

 

仏舎利(ぶっしゃり)

 

を納めるものでした。

インドではこれを

 

ストゥーパ

 

と呼び、土饅頭(どまんじゅう:土を饅頭のように小高く盛り上げて作ったお墓)の上に傘蓋(さんがい)という傘状の飾りを乗せた形をしていました(写真はミャンマーのストゥーパなので若干形が異なっています)。

ストゥーパは

 

お釈迦さまを奉り・尊敬し・礼拝するために施設

 

として仏教とともに各地に伝わりました。

そして中国に伝わった時に、中国での

 

楼閣(ろうかく:階を重ねて高く造った建物)

 

と融合して現在日本に残っている形の原型となりました。

以前のブログで紹介した

 

鐘楼(しょうろう)

 

にも通じる話ですね。

↓ ↓ ↓

ストゥーパの形は、三重塔や五重塔の上に取り付けられた

 

相輪(そうりん)

 

という金属製の飾りとして、今もその形跡が残っています。

ちなみに、ストゥーパとよく似た響きの言葉を思い出しませんか?

それはお墓の後ろなどに立てかける

卒塔婆(そとば)

 

です。

卒塔婆もストゥーパから転じて

 

故人や先祖を祀るためのもの

 

として、今も使われています。

お釈迦さまを祀るためのストゥーパから転じた三重塔や五重塔。

それは

 

仏さまをお祀りする建物

 

として今に残されています。

日本に今も残る三重塔や五重塔がどんな姿で存在しているのか、その由来に思いを馳せながら拝観してみてはいかがでしょうか。

 

 

<お大師さまゆかりの地>

 

四国霊場八十八ヶ所

第十八番札所

母養山 宝樹院 恩山寺

(ぼようざん ほうじゅいん おんざんじ) 

恩山寺聖武天皇(西暦701〜756年)の勅願により行基菩薩が建立に携わり、最初は『大日山福生院密厳寺』と呼んでいました。

延暦年間(西暦782〜806年)にお大師さまがこの寺で修行をしていたところ、お大師さまの母親である玉依御前(たまよりごぜん)がお大師さまを訪ねてきました。

しかしお寺は女人禁制(にょにんきんせい)でしたので、お大師さまは山門近くの瀧にうたれて7日間の修行をして、女性がこの地に入っても良いかどうかを仏さまに祈願され、見事その願いを成し遂げて玉依御前を迎え入れることができるようになりました。

<約5分半の動画で井戸寺の紹介をされています>

その後、玉依御前はこの地で髪を下ろされ(剃髪:ていはつ)、その髪を奉納されたことから、お大師さま自らこの寺を母養山恩山寺と名付けられました。

境内には玉依御前を祀る小堂があり、玉依御前に孝行を尽くして、お大師さまが植樹したびらんじゅは、県の天然記念物にもなっています(写真引用:徳島県観光情報サイト)。

所在地:〒773-0008 徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40

お問い合わせ:0885-33-1218(TEL)

交通アクセス:四国八十八ヶ所霊場會

 

 

皆さんの貴重なご意見・ご感想、大変参考になりますので、お気軽にコメントなどいただけると嬉しいです。

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