こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。
今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、仏教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。
サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。
(*´▽`)ノノ
今日の『お大師さまゆかりの地』は、四国八十八ヶ所霊場第二十六番霊場 金剛頂寺(こんごうちょうじ)です。
(*^-^*)
お寿司のシャリの元々の意味は○○○
前回のブログでは、私たちが普段の会話で使っている言葉の中に仏教用語があることをご紹介いたしました。
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ところで、最近では日常的に使われなくなったものの、お寿司屋さんに行くと酢飯のことを
シャリ
と言うことは皆さんもご存知ですよね。
この『シャリ』も元々は仏教用語だったのです。
シャリとは元々
舎利(しゃり)
と書き、サンスクリット語では
シャリーラ
と呼ばれていました。
このシャリーラというのは
遺骨
のことを指していて、ブッダ(仏陀:お釈迦さま)の遺骨は
仏舎利(ぶっしゃり)
と呼ばれていました。
仏教にゆかりの深い人々や地域にとって、この仏舎利は輪廻(りんね)の教えに基づいて
巡り巡って穀物になり
人々の暮らしを助けるもの
と考えられてきたので、その尊さが私たち日本人の生活に欠かせない食べ物である
白米
の呼び方になったと言われています。
お米はお釈迦さまの遺骨と同じくらいに尊いものなので
一粒たりとも無駄にしてはいけない
という思いがこもっていると言えます。
食生活が変わり、炭水化物の一種であるお米への評価は変わりつつありますが、日本人にとって主食でもある米の尊さと、お釈迦さまの尊さには変わりないとする日本人の根本的な精神が、この『シャリ』という言葉として変わらず受け継がれてきている証拠なのではないでしょうか。
ところで、最近はあまり見かけなくなったように思いますが、お寿司を握る際に、おひつから一度手に取ったシャリを職人さんが少しちぎって適量になるようにおひつに戻す行為を
捨てシャリ
と言いますが、その表現が適切なものか、このブログを書いていて素朴に思いました。
(^_^;ソダネ~
<お大師さまゆかりの地>
四国霊場八十八ヶ所
第二十六番札所
龍頭山 光明院 金剛頂寺
(りゅうずざん こうみょういん こんごうちょうじ)
金剛頂寺は嵯峨天皇の先代にあたる平城天皇の勅願によって大同2年(807年)にお大師さまが薬師如来像を彫刻されて御本尊として開山され、開山時は金剛定寺と命名されていました。
金剛頂寺へと至る『厄坂』
創建当時の金剛定寺は女人禁制(にょにんきんせい:女性の立ち入りを許可しない)とされ、女性は金剛定寺から4kmほど離れた室戸岬にほど近い不動堂(ふどうどう)から手を合わせてお参りをしていたと言われています。
嵯峨天皇の時代に金剛定寺から金剛頂寺として改められ、さらに淳和天皇の代には皇室の勅願寺として篤い信仰を集め、第十世の住職までは天皇の勅命によって任じられたという歴史があります。
金剛頂寺には一粒万倍の釜という釜があり、これは
お大師さまが炊いたお米が一万倍に増えて人々を飢えから救った
という言い伝えがあります。
<約6分の動画で津照寺の紹介をされています>
御影堂(大師堂)
金剛頂寺は戦国時代をはじめ、度重なる災禍に見舞われましたが、その都度、人々の篤い信仰と多くの人々の支援によって復興がなされ、創建当時の建物のありようを今に遺しています。
室戸岬では東西に対峙している第二十六番札所 金剛頂寺を西寺と呼び、最御崎寺は東寺とも呼ばれており、金剛頂寺の納経帳などの寺名には西寺と記されています。
所在地:〒781-7108 高知県室戸市元乙523
お問い合わせ:0887-23-0026(TEL)
交通アクセス:金剛頂寺ホームページ
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