辛いイメージのリハビリからの卒業

<2019年10月30日公開>   <2020年3月22日更新

こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。

私と妻はそれぞれ作業療法士(私)と理学理療法士(妻)として働いています。

このサイトでは、自分の実体験に基づく話や仕事の話を中心に、新しい取り組み、趣味、子育てなどで感じたありのままの体験をサイトを通じて情報発信しています。

このサイトで発信していきたいことは

 

障害のある人が

 

人生をより豊かにする方法があることを知ってもらい

 

そのお役に立ちたい。

 

障害の有無に関係なく

 

長く仕事を続ける

 

あるいはステップアップするための

 

工夫の仕方を知ってもらいたい。

 

を掲げています。

 

一度しかない人生ならば、しっかりとそれを楽しみたいですし、障害の有無に関係なく、少なくともこのブログを見てくださっている方々や私の近しい方々にもそうあって欲しいと願っています。

今回は、私がなぜ作業療法士に興味を持ったのか、私自身を形作ったものについてお伝えし、少しでも私に興味を持っていただけたらと思って書いています。

 

16歳で病気になった時の話


 

プロフィールにも書きましたが、私は16歳の時に、右脛骨骨肉腫(みぎけいこつこつにくしゅ)という骨の癌にかかり、1年間の闘病中に右大腿を切断しました。

私が入院していた約30年前は、なんとなくリハビリテーションのことは知っていたのですが、理学療法しか知らず、一生懸命筋トレや歩行練習をすることがリハビリテーションという印象しかありませんでした。

当然、作業療法なるものも知らず、

 

「リハビリってこんなにたいぎい(広島弁で『面倒臭い』の意)もんなんか」

 

と思っていました。

 

抗がん剤治療の影響で、病室から出る体力もなく、ようやく出られたと思ったら、

 

きつい筋トレと歩行練習と合わない義足との格闘

 

そしてまたすぐに抗癌剤投与で部屋から出られないといった毎日でした。

 

担当の理学療法士の先生が

 

「川本くん、リハビリに行こうか」

 

と言われても

 

「気が乗らない」

 

と言ってリハビリ室には行かず、痛い義足の練習もサボり気味になっていました。

 

退院が近づいて来た時に、

 

私の人生に大きな影響を与えることになる新しい義肢装具士さんに出会いました。

 

それまで義足や歩行練習に対して嫌な認識しかなかった私にとって、その義肢装具士さんに作ってもらった新しい義足を装着したことで、

 

歩けるだけではなく走れる楽しさを再発見

 

しました。

 

またみんなと同じように歩ける!また走れる!

 

 

とにかく嬉しくて仕方ありませんでした。

もちろん、足があった頃のような走りはできませんし、転ぶことも多かったのですが、

 

自分の思うように動けることがこれほど楽しいものか

 

と思いました。

 

理学療法士の先生の言葉


 

担当の理学療法士の先生からは

 

「君には平行棒内での歩行や筋トレよりも、実践的なものが向いているみたいだね。

退院したら、たまには病院のリハビリ室に顔を出してくれてもいいけど、その時にはどこまで自分で頑張って歩いているのか、教えてね」

 

と言われました。

 

それから私は街に出て

 

みんなの歩く後ろをついて歩きながら歩容のテンポを見たり、

 

ショーウインドウに映る自分の姿を見ながら歩き方のチェックをしたりして、

 

少しでもみんなと同じ歩き方をしたいと思ってあちこち歩き回りました。

 

久しぶりに病院のリハビリ室に行くたび、担当だった理学療法士の先生に自分の歩き方を見てもらって、どうやってこの歩き方を身につけたかについて誇らしげに話をすると、理学療法士の先生は目を細めて頷きながら

 

「うんうん、君に合ったやり方でいいんだよ」

 

といつも励ましてもらうと同時に、

 

「君は作業療法士に向いているんじゃないかな?」

 

と言われました。

最初は、何を言われているのかわからず、

 

「なんですか?それ?」

 

と聞き返すと、

 

「まずは高校に復帰して、自分で調べてそれから考えてみたら」

 

と言われました。

私はなんだかケムに巻かれたように感じ、

 

「はぁ・・・考えてみます」

 

と返事をすることが精一杯でした。

 

理学療法士の先生が教えてくれたこと


 

作業療法士になった直後、担当してくださった理学療法士の先生に久しぶりにお会いする機会があり、

 

「先生はなぜあの時私に『作業療法士』を勧めてくださったんですか?」

 

と伺ったところ、

 

 

「だって、もうあの頃の君には自分が何をするべきか分かっていたじゃない。

平行棒の中やリハビリ室の中じゃなく、

より生活に近いところに興味があったわけでしょ。

だったら、作業療法士の方が向いているって思ったんだよ」

 

 

とのことでした。

 

「それに、君は新しいことを切り開く精神もあっていろんなことに興味がありそうだったから、

だったら仕事と趣味が両立できそうな作業療法士が君には向いているとも思っていたんだよ」

 

 

とも言われました。

 

今では、その理学療法士の先生の言われていることがとてもよく分かります。

 

 

自分のやりたいことが

 

やりたい時に

 

やりたいようにできる。

 

それを仕事と実生活で活かす。

 

その一つの方法として作業療法士という選択をした

 

 

私が選択したのは作業療法士という道でした。

でも、この仕事を通じて多くの方々と出会い、その出会いを通じて作業療法士として得た経験がいろいろなところに応用できることを学びました。

 

 

皆さんの貴重なご意見・ご感想、大変参考になりますので、お気軽にコメントなどいただけると嬉しいです。

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3 件のコメント “辛いイメージのリハビリからの卒業

  1. ブログサークルからさかのぼって拝読させていただきました!。

    大変な経験をされたからこそご自身しかできない事をされるようになったお話、こちらまで元気を頂きました。

    良い出会いがあったのも、前向きだったからこそかもしれませんね。

    1. かいごとせいたいさん
      コメントありがとうございます^^
      さかのぼって見てくださってありがとうございますm(__)m
      落ち込むことは今でもたくさんありますが、この時の経験は今の私を形作っているとても大切な出来事でした。
      こうして生かされているのであれば、しっかりと人生を楽しみたいと思っています(*^_^*)
      これからも応援よろしくお願いいたします♪

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