こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。
この記事は私の好きな言葉でもある【一期一会】をもとに、作業療法士としての日々の出会いや色々な思いを綴ったショートストーリーです。
思わずクスッと笑える話から、ちょっと心のどこかに届くような話しなど、サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。
(*´▽`)ノノ
忘れたいこと、忘れたくないこと
「あんたぁ、ええ男じゃね。うちの孫をもらってくれんかね?」
セツさんの家に訪問するたびに言われることです。
私が既婚者であることを毎回お伝えしても
「そうなんじゃね。でもうちの孫は器量もええし、あんたにお似合いなんじゃがね。」
そう言って、お孫さんと一緒に写った写真を嬉しそうに見せてくれるのです。
セツさんは92歳の女性で認知症の症状があり、足腰も随分と不自由になっているのですが、息子さん夫婦と同居することを断り、ヘルパーさんや訪問看護師の支援を受けながら住み慣れた家でお一人で暮らしています。
戦争でご主人を亡くされてから、女手一つで2人の息子さんと1人の娘さんを育て上げた方でもあります。
セツさんの口癖は
「1人の方が安気(あんき=気軽)なよ。息子んとこ行くと、ほれ、嫁にも気ぃ遣うけんね。」
であり、と同居を勧める息子さんの話には耳も傾けません。
でも、お孫さんのことは大好きであり、また、お孫さんもセツさんが大好きだったようで、月に1回から2回のペースでお孫さんはセツさんの家に泊まりに来ていました。
セツさんが毎回いろんな人に見せている、お孫さんと一緒に写った写真は、いつの間にか色あせてボロボロになっていましたが、セツさんはその写真を手放そうとはしません。
同じ写真をプリントし直して新しい写真に変えることを提案しても、頑として受け付けません。
そして、私が訪問するたびに
「あんたぁ、ええ男じゃね。うちの孫をもらってくれんかね?」
と言われます。
時々、セツさんはベッドの脇に座って外を眺めながらボーッとしていることがあります。
どうしたのですかと問うと、セツさんからは
「最近、孫を見んような気がしたけど、気のせいなんかな。」
という返事が返ってきます。
セツさん、お孫さんは3年前に病気で亡くなってるんだよ。
セツさん、お孫さんが亡くなった日に寝込んで動けなくなったね。
心配になった息子さんに頼まれて看護師と一緒に訪問した時、ずっと泣いていたね。
お孫さんとのお別れの席にも行けないくらい、ショックを受けてたね。
「わしが先に逝ぬのが本当じゃのに、ごめんね。ごめんね。ごめんね。」
とお孫さんの写真を持ったまま何度も何度も泣きながら話をしてくれたね。
セツさんの姿を見て私はその時のことを思い出しながら、セツさんの肩と手にそっと手を置いて
「セツさん、きっとまたお孫さんに会えるよ」
と伝えることが私にできる精一杯のことなのです。
しばらくの沈黙のあと、セツさんは何かを思い出したかのように
「そういや、あんたぁ、ええ男じゃね。うちの孫をもらってくれんかね?」
と、いつもの話をされます。
セツさんにとって、お孫さんが亡くなられたことは忘れたいことなのかもしれません。
でも、お孫さんのことは決して忘れたくないことだということは分かります。
人は思い出の中に生きているだけではないのかもしれないけれど、事実を真正面からいつも受け止められるほど強い存在ではない
と思います。
セツさんとお孫さんが一緒に過ごした日々は、私が想像できるほどの内容ではないことは分かっています。
それでも、セツさんが、今の生活を続けることができるよう、精一杯サポートするのが私の役目です。
今日もセツさんから
「あんたぁ、ええ男じゃね。うちの孫をもらってくれんかね?」
と言ってお孫さんの話を聞きながら、私はセツさんらしく生きることができるように、私にできることでセツさんを支えています。
皆さんの貴重なご意見・ご感想、大変参考になりますので、お気軽にコメントなどいただけると嬉しいです。
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