新米小坊主の小話 疫病と般若心経

こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。

今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、密教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。

サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。

(*´▽`)ノノ

今日の『お大師さまゆかりの地』は、四国八十八ヶ所霊場第二十三番霊場 薬王寺(やくおうじ)です。

(*^-^*)

 

疫病と般若心経


 

この記事を作成している段階で、新型コロナウイルス感染症が確認されてから1年が過ぎていますが、未だに収束の目処が立たず、むしろ日に日に感染者が増え続けています。

人々の不安は日増しに強くなるだけでなく、先の見えないコロナ禍の中で心も身体も疲れてしまうということも増え続けています。

こうした感染症をはじめとする

 

疫病(えきびょう)

 

は、なにも現代に限ったことではなく、お大師さまがおられた平安時代にも同じようなことが起こっていました。

高野山地蔵院には、国の需要文化財に指定されている、鎌倉時代に製作された全六巻からなる

 

高野大師行状図画

(こうやだいしぎょうじょうずが)

 

という絵巻があります。

その中に、疫病で苦しむ人々を救おうとされるお大師さまのお姿が描かれています。

弘仁9年(818年)、嵯峨天皇の時代の日本中で疫病が蔓延し、道端には藁(わら)やイグサなどで編まれた簡素な敷物の上で、横たわったまま死を待つ病人が大勢並び、その脇にはすでに白骨と化した遺体が散乱し、犬が次の獲物を狙っているありさまでした。

そんな平安京にお大師さまが一人の若者を伴って通りかかり、その地獄絵図のような光景を前に立ち尽くされているお姿がありました。

この疫病が都である平安京にまで蔓延した時、嵯峨天皇は自ら筆をとり

 

『般若心経』一巻を金字で写経してお供えされ

仏さまに救済を祈念される

 

とともに、お大師さまに『般若心経』の功徳を誰もが分かるように説くように命じられました。

『般若心経』は正式には

 

『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』

(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)

 

と言い、それぞれの言葉の意味は

 

『仏説』=『仏さまが説いた仏さまの説法』

『摩訶』=『立派な』

『般若』=『仏さまの智慧』

『波羅蜜多』=『仏さまの世界(彼岸)にたどり着く』

 

ことを表しています。

つまり

 

仏さまの立派な智慧で仏さまの世界に行くための教え(心経)

 

が般若心経の大きなテーマなのです。

しかし、平安時代にすでに知られていた『般若心経』は非常に難解であり、読解をするだけでもかなり難しい内容でもありました。

その『般若心経』をお大師さまは誰もが理解することができるようにと一心に説かれるようになると

 

疫病に臥していた人たちの病状がたちどころに回復し

苦しんでいた人たちは元気になった

 

という言い伝えがあります。

『弘法大師行状図絵』 般若心経を講義

<写真引用:高野山金剛峯寺 弘法大師の誕生と歴史より

この時にお大師さまが講義された内容が

 

『般若心経秘鍵』

(はんにゃしんぎょうひけん)

 

という書物として現代に伝わっているといわれています。

 

疫病という国難に対して、『般若心経』を用いて嵯峨天皇をはじめとする多くの人々が心を一つにして

 

なんとかしてこの国難を乗り越えよう

 

とし、お大師さまが『般若心経』を誰もが理解することができるように一心に取り組まれたことは

 

今の自分にできることを精一杯行う

 

ことこそ、疫病や苦しみから自分自身や大切な人を守るために必要な取り組みだということを1200年の時を越えて今に伝えているのではないでしょうか。

 

 

<お大師さまゆかりの地>

 

四国霊場八十八ヶ所

第二十三番札所

医王山 無量寿院 薬王寺

(いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ) 

薬王寺は聖武天皇の勅願で行基菩薩によって神亀3年(726年)に開創されたと言われており、厄除けの寺院として全国的に有名な高野山真言宗の別格本山でもあります。

弘仁6年(815年)、お大師さまが42歳の時にこの地に入られて、衆生救済と厄除けを祈願し、一刀三礼にて厄除薬師如来坐像を彫られ、この薬師如来像をご本尊とし、厄除けの根本祈願寺とされました。

お大師さまはこのご本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を遣わされて薬王寺を官寺(かんじ:国営の寺)とされました。

 

薬王寺本堂

やくよけばしを渡って本堂に向かう最初の石段は、女厄坂といわれる33段、続く急勾配の石段の男厄坂42段で、さらに本堂から瑜祇塔(ゆぎとう)までは男女の還暦厄坂と呼ばれる61段からなっています。

薬王寺瑜祇塔

各石段の下には薬師本願経の経文が書かれた小石が埋め込まれており、参拝者が1段ごとにお賽銭をあげながら登る光景を目にすることも多いとされています。

<約6の動画で薬王寺の紹介をされています>

薬王寺の本堂の裏からラジウムを含む瑠璃の水(るりのみず)と呼ばれる霊水が湧き出しており、古くから肺病などの諸病に効くと言われており、本堂左手には肺大師を祀った祠(ほこら)があり、例年多くの参拝者が訪れます。

薬王寺は発心の道場と言われる徳島県(阿波)最後の霊場であり、修行の道場と言われる高知県(土佐)へと霊場は続きます。

所在地:〒779-2305 徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285-1

お問い合わせ:0884-77-0023(TEL)

交通アクセス:四国八十八ヶ所霊場會

 

 

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