こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。
今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、仏教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。
サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。
(*´▽`)ノノ
今日は、いつもの小話というよりも
(私なりに)伝説を科学的に検証してみた
という話なので、いつも以上に微笑ましく見ていただけたらありがたいです。
その際には、決して伝説を軽んじているわけではないことはご理解ください。
なお、検証にあたってはあくまでも私の計算上のことであるので、間違いなども多々あると思います。
その際はご遠慮なくお尋ね(ツッコミ)くださいm(__)m
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飛行三鈷杵はどんな飛行をしたのか?
前回のブログでは、お大師さまが唐から戻る際に、明州(今の寧波市)の浜、あるいは遣唐使船の上で、日本に密教を広めるためにふさわしい場所に導くようにと、手に持った
三鈷杵(さんこしょ)
を日本に向けて投じられ、その三鈷杵は
金色に輝きながら雲の彼方に消えた
もしくは
五色の雲に乗って日本に向かって飛んで行った
とされ、それが高野山の松の木に引っかかった(あるいは高野山の土の中から出てきた)ことが、高野山を開創されるきっかけの一つになったということをお伝えしました。
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ところで、明州(今の中国の寧波)から高野山まで、どのくらいの距離があるのでしょうか。
Google マップを元に測定をしてみると、明州から高野山まで直線距離で
約1400km
でした(下図参照)。
この明州の浜もしくは船の上から
「えいっ!」
╰( `• ω•)╮-=ニ=゚
と三鈷杵を投じたとします。
一般的に、三鈷杵は、長さ約13〜15cm、奥行き4〜4.5cm、幅1.8〜2cmであり、重量は作成される金属類によって異なりますが、真鍮(しんちゅう)だと150〜200gあります。
ただ、今回の検証においては、質量を計算していたのではとんでもないことになるので、質量を無視することのできるように
空気抵抗を考えない
ことを前提に話を進めます。
また、明州と高野山との高さの差も無視します。
何か特別な力が加わらない限り、投じられた物体は初速度(v)と打ち出し角度(θ)によって、滞空時間(t)、到達高度(h)、到達距離(L)が変わってきます。
一度打ち出された物体は、放物線を描きながら飛び、最も高い位置である到達高度(h)に達してからは再び放物線を描きながら目的の場所に至ります。
今回は距離が1400kmであり、打ち出し角度(θ)は野球でホームランが最も出やすいとされる45°とし、重力加速度を9.8m/s2で計算すると、そこから求められる初速度(v)は
3706m/s
つまり
時速13341.6km=マッハ12.586
ヒイィィィ!!!!(゚ロ゚ノ)ノ
になります。
音の速さが時速1225kmと言われているので、時速13341kmとはそのさらに10倍以上の速さになりますね。
ウルトラマンタロウの飛行速度や「ぬるっふふふ」が特徴的な人気漫画・アニメのコ○先生の最高速度
マッハ20
には至りませんが、それでもすごい速さですね。
そして、どのくらいの到達高度(h)になるかというと
高度350km
Σ(゚◇゚;) !?
になります。
これは日本が打ち上げている
HⅡAロケットの地球周回高度と同じ
ところまで達している計算になります。
う〜ん・・・・そうなると、地球の重力圏を振り切って成層圏(高度10kmから50km)を突破するために必要な第一宇宙速度である時速28440kmには届かず、途中で落下し始める(?)のかな。
そして明州から高野山に至までの滞空時間(t)は
約9分
Σ(=ω= ;)ゲッ!!!!
になります。
ここまで見ても、すごい数字が並んでいますね。
今回は検証に入れていませんが、仮に三鈷杵の質量を入れ、空気抵抗も考えた場合、打ち出しの初速がマッハ12ということは
投げ出す物質の質量によって投げ出した側と反対側に反作用の力が働く
はずなので(大砲などで打ち出した時に反対方向に大きな反動が加わることを想像してください)、投げる人の身体は超人以上に強靭でないと大変なことになりますね。
(._+ )☆\(-.-メ) イネェヨ!
言い伝えでは、お大師さまが投じた三鈷杵は
金色に輝いていた
あるいは
五色の雲に乗った
とされているので
三鈷杵に特別な力が宿っていた
(。・Д・。)ソリャソウダ!!
のは当たり前に思うので、このような科学的な検証は意味のないものかもしれませんが、現代の常識で考えてみると、また違って視点で伝説をみる楽しみもあるのではないかと思います。
『飛行三鈷杵』をどのように投じられたかについては、和歌山県観光連盟さんのホームページが参考になりますので、ぜひこちらも併せて参考にしていただきたいと思います。
<お大師さまゆかりの地>
四国霊場八十八ヶ所
第九番札所
正覚山 菩提院 法輪寺
(しょうがくざん ぼだいいん ほうりんじ)
弘仁6年(西暦815年)に、弘法大師(お大師さま)が開山されたと伝えられており、木造の釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)は弘法大師の作と言われ、横たわった姿の涅槃像(ねはんぞう)という非常に珍しい仏像として人々の篤い信仰を集めています。
古くは「白蛇山法林寺」と称して、現在地よりも4キロほど山間にありましたが、戦国時代の戦乱の際に焼失。
現在の位置に移転され、1644年〜1648年に再建された時、当時の住職が「転法林で覚り(さとり)をひらいた」とされ、山号と寺名を現在の正覚山法輪寺に改めました。
その後も火災などに見舞われましたが、明治時代に再建されたものが、現在の姿として残っています。
<約4分の動画で法輪寺の紹介をされています>
昔、松葉杖なしでは歩けなかった人が参拝したところ、参道の真ん中あたりで足が急に軽くなって、松葉杖なしでも歩けるようになったことから、本堂にはたくさんの草鞋(わらじ)が奉納されています。
所在地:〒771-1506 徳島県阿波市土成町土成字田中198-2
お問い合わせ:088-695-2080(TEL)
交通アクセス:四国八十八ヶ所霊場會
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