こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。
今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、仏教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。
サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください
(*´▽`)ノノ
薬子の変
お大師さまが平城天皇(へいぜいてんのう:西暦774年〜824年)に拝謁(はいえつ)した当時の日本は、天皇の執務を取り仕切る
朝廷内での権力闘争
繰り返される洪水や疫病といった自然災害
といった、まさに大きな嵐の時代でもありました。
また、平城天皇自身も弟である伊予親王(いよしんのう)に反乱の疑いがあるとして、伊予親王を捕らえて自殺に追い込むという痛ましい事件も発生していました。
そんな中、歴史を大きく揺るがす
薬子の変(くすこのへん)
という事件が起こります。
薬子は藤原薬子(ふじわらのくすこ)と言い、平城天皇のお妃の母親でもあったのですが、平城天皇はこの薬子に惹かれて恋仲となってしまいます。
薬子は、平城天皇に寵愛されながら、兄である藤原仲成(ふじわらのなかなり)とともに、朝廷内で実権を握っていきます。
しかし、病弱であった平城天皇の体調が思わしくありません。
これは伊予親王の怨霊のせいだという説もありますが、結果的に西暦809年に平城天皇は帝位を退いて、皇太子だった
嵯峨天皇(さがてんのう:西暦786年〜842年)
に帝位を譲ります。
嵯峨天皇は
国をひとつにまとめ
朝廷内の権力争いを無くし
国家・国民のための国づくりをしていく
そのために平城天皇が進めていた改革を元に戻そうとします。
面白くないのは、朝廷内の権力を握っていた藤原仲成と薬子たちといった平城天皇側についていた人たちです。
嵯峨天皇が即位したことで、薬子や藤原仲成らは朝廷内での実権をほとんど奪われてしまいます。
また平城天皇(この頃は上皇)も、自身の行っていたことを次々と変えていく嵯峨天皇の方針に対して非常に腹を立てていました。
そこで平城上皇と薬子・藤原仲成たちは奈良の平城京に移り、嵯峨天皇との対決姿勢を見せ始め、ついに西暦810年に嵯峨天皇に対して兵を挙げます(薬子の変)。
薬子の変自体はすぐに鎮圧され、薬子は自殺、藤原仲成は処刑、平城上皇は出家して終わりました。
この反乱にあたって、お大師さまは
国を守るための護摩を焚き
1日も早く国が穏やかになるよう必死に祈りを捧げた
とされています。
また、薬子の変の前後で体調を崩していた嵯峨天皇の病気が改善するように祈祷(きとう:神様仏様にその御加護を求めて祈ること)もされました。
のちにこの時のことも含めて、後宇多天皇(ごうだてんのう:西暦1267年〜1324年)が書かれた
『弘法大師伝』
という書物で
「鎮護国家の基、大師の加持力に依らざる事無し」
すなわち
「国を守るための礎として、お大師さまの力をとても頼りにしていた」
と述べておられるように、お大師さまの法力は宮中に絶大な信頼があったことが伺えます。
お大師さま自身も
僧侶を集めてお経を読んでいるだけではなんの意味もない
真剣に国のため万民のために尽くすことが僧侶の本来の役割である
そのために三密加持の秘法によって仏の力を借りて、国の病を治すことがとても大切である
と説かれ、国家のために特別な壇を設けて法を修められたのは51回にも及んでいます。
高野山が開かれてから1200年経った今でも、その修法は京都の東寺(教王護国寺:きょうおうごこくじ)で毎年正月に7日間、宗派の主だった高僧たちが天皇の御衣に加持祈祷を行う
後七日御修法(ごしちにちみしほ)
として、真言宗の最も重要な儀式として執り行われています。
恵果和上から託された密教の正統な教えと、恵果和上からの
「早く日本に帰って、この教えを広めて国の平安と人々の幸福のために生かしなさい」
の言葉を胸に、お大師さまは常に
自分にできることは全身全霊を持って取り組む
そこには私心ではなく常に国や国家や万民のための尽くす
ことを実践されていたのではないでしょうか。
<お大師さまゆかりの地>
真言宗総本山 教王護国寺 東寺
(きょうおうごこくじ とうじ)
平安京に都を移した時に建てられた東寺は、国立の寺院として今もその姿を当時の面影そのままに遺しています。
お大師さま自身がプロデュースされた国宝・重要文化財の仏像が多く安置されています。
紅葉の季節にはライトアップがされ、五重塔が美しく輝いています。
<14分くらいの動画で東寺の紹介をされています>
嵯峨天皇からお大師さまに託された東寺は、日本で初めての密教寺院として、密教の主尊である大日如来を境内の中心にすえて、広大な寺院の中に曼荼羅を表現していると言えます。
お大師さまの住まいである御影堂(みえどう)では、今でもお大師さまがいらした時と同じように、一の膳、二の膳、お茶をお出ししています。
所在地:〒601-8473 京都府京都市南区九条町1
電話: 075-691-3325
交通アクセス:真言宗総本山 教王護国寺 東寺ホームページ
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