こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。
今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、仏教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。
サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください
(*´▽`)ノノ
恵果阿闍梨(和上)との対面
唐の都である長安で、お大師さまは恵果和上(わじょう:師匠となる僧侶)と対面します。
初対面にも関わらず、恵果和上はお大師さまに対して
「我 汝(なんじ)の来るを知り、待つこと久し。今日相見えて大いに好し(『請来目録』)」
と言われました。
「あなた(お大師さま)が来るのは知ってて、ずっと心待ちにしていたぞ。よく来た!よく来た!」
(。≧ω≦。)ノ
恵果和上はお大師さまとの対面を心から喜ばれ、すぐに密教の根本道場である
青龍寺
にお大師さまを住まわせました。
当時、恵果和上のもとで密教を学ぶ者は
約1000人(一説には数千人)
いましたが、恵果和上はお大師さまをすぐに自分の
後継者
として選びます。
すでに恵果和上のもとにいた多くの弟子たちは不満を口にしますが、お大師さまを後継者にするという恵果和上の考えは全く変わりませんでした。
5月に恵果和上とお大師さまが対面
6月に胎蔵界の灌頂(かんじょう:教えを授ける)
7月に金剛界の灌頂
8月に阿闍梨(あじゃり)位に上る『伝法灌頂』
大日如来を意味する『遍照金剛(へんじょうこんごう)』の名を与えられる
お大師さまが第八代の真言密教の伝法者(真言密教の最高位)となる
12月に恵果和上がこの世を去る
(灌頂の時期については諸説ありますがここでは『請来目録』を参考にしています)
出会いから6ヶ月という驚くほど短い期間にも関わらず、真言密教の教えを余すことなく、恵果和上からお大師さまに真言密教は引き継がれます。
全てを教え終わった恵果和上はお大師さまに
「早く日本に帰って、この教えを広めて国の平安と人々の幸福のために生かしなさい」
と伝えました。
伝承に期間は関係ない
恵果和上は、弟子がどこの国の者であろうと
ただひたすらにその資質を大切にして
自分の伝えるものを全てお大師さまに伝えました。
『瓶から瓶へと余すことなく教えが伝えられた』
というお大師さまの言葉があります。
『伝承(でんしょう)』とは、過ごした年月の長さや年功序列ではなく、教える側も教わる側も真剣に向き合えば、たとえ短い期間でも本物と呼べるものは必ず受け継がれていくものである
出会いからわずか6ヶ月で恵果和上はこの世を去りますが、恵果和上とお大師さまの関係はまさにそうであったと言えます。
真言密教の全てを授かったお大師さまは、当初の予定出会った20年間という留学期間をわずか2年で切り上げ、帰国の途につくのです。
<お大師さまゆかりの地>
観世音寺(かんぜおんじ)
唐から戻ったお大師さまが1年近く滞在し、持ち帰った仏像、曼荼羅(まんだら)、経典、法具を観世音寺で整理してまとめたとされています。
所在地:〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺5丁目6−1
電話: 092-922-1811
交通アクセス:観世音寺宝蔵 じゃらん ホームページ
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最後までブログを読んでくださり、ありがとうございます!
おはようございます。見極める力は大切なことだと思いますがその力をつける為の日々の努力、それを継続する力をまずはつけていくよう精進していきます。
やまおさん
いつもコメントをありがとうございます^^
見極める力も大切ですが、日々の努力と精進を怠らることなく続けることが大切なんだと思います。
続けることで、見極める力もついてくると思います。
私もブログを続けながら、日々自分にできることを一所懸命取り組んでいきたいと思います♪
またお気軽にコメントをいただけますとありがたいです(*^^*)