問題や課題に直面した時に考える キヨさんが教えてくれたこと

こんにちは。作業療法士の川本健太郎です。

 

皆さんは仕事や家庭や学校などで、いろいろな問題や課題に直面することがあると思います。

特に、人間関係の悩みが私たちにとって大きな問題や課題であることが少なくありません。

そんな時、皆さんはどんなことをしてその問題や課題を解決しようとしますか?

誰かに相談したり、参考になる本を読んだり、昔の経験を思い出したりしながら、目の前の課題に向き合うことが多いのではないでしょうか。

私の場合、まだ作業療法士になって2年目の時にお会いした「キヨさん」のことを思い出しながら

 

「キヨさんだったらどう考えるだろう」

 

と考えて気持ちを整理して問題や課題に向き合うことが多いです。

 

今回は、私がいろいろなことで行き詰まった時にいつも思い出す、

 

まず自分を信じて

 

そして初心に戻って何ができるかを問い

 

相手とじっくりと話をしてみて

 

共に過ごす時間を大切にする

 

といった、「キヨさん」との出会いから学んだことをお伝えしたいと思います。

 

*キヨさんの写真はご家族・関係者の皆様の許可をいただいて掲載させていただいています。

 

キヨさんとの出会い


 

キヨさんとの出会いは、私が作業療法士となって2年目の時でした。

キヨさんは81歳の時に脳梗塞(のうこうそく:脳の血管の一部が何らかの原因で詰まってしまい、手足のマヒや言葉の障害などの症状が出る病気)を発症し、私の務めていた病院に入院し、入院翌日からリハビリの依頼があり、理学療法と作業療法が開始となりました。

キヨさんは、若い頃に、ご主人と実のお兄さんを第2次世界大戦で亡くし、戦後の貧しい時代にあって、幼い子供たち3人を女手一つで育てた方でした。

華道や茶道や詩吟(しぎん:漢詩や和歌などを独自の言い方で歌う)の免許皆伝(師匠の資格)を持ち、たくさんの生徒さんたちを育て上げ

 

「人殺しと盗み以外は何でもやったねぇ」

 

と話すその姿は、大正時代生まれのしなやかでたくましい女性のことを表現する

 

大正乙女(たいしょうおとめ)

 

まさにそのものの人でした。

 

キヨさんの入院生活


 

とても努力家だったキヨさんは、自分でいろいろな工夫を交えて『一所懸命』理学療法や作業療法に取り組み、左手に軽いマヒが残ったものの、身の回りのこと、部屋からリハビリ室までいて移動すること、簡単な料理、掃除などもできるようになっていきました。

特にキヨさんは、作業療法で料理や掃除の練習をすることや、私と一緒に外を散歩した時に見かけた野花を摘んでは作業療法室で花を生けることをとても楽しみにしていました。

キヨさんと私は不思議とウマが合い、他の患者さんの対応で私が困っているのを見かけると、私に代わってキヨさんがその患者さんを励ましたり、作業療法の内容についてアドバイスをしたりしてくれました。

 

「こんたなこと(こんなこと)でクヨクヨしとったらいけんよ。

あんたはまだ若いんじゃけ、まだまだ良くなるんよ。

自分を信じんさい(信じなさい)!」

 

と話しかけるキヨさんの姿は、よほど私よりも作業療法士らしく、キヨさんから話しかけられた患者さんは、明らかに気持ちが前向きになっているのがわかるほどでした。

退院の日が近づく中で、40年近く一人暮らしをしていたキヨさんのことを、遠くに住むご家族は大変心配していたのですが、

 

「ま、何とかなるよ」

 

とキヨさんはあっけらかんとした表情で話をされ、不安に思っているご家族に対しては

 

「なんかがあった時には、そん時に考えりゃええよ。

ここ(病院)には川本先生もおってじゃけ(居られるから)、いろいろと相談に乗ってもらうけん、大丈夫」

 

と言って退院されました。

 

キヨさんの退院後の生活


 

退院後もキヨさんは以前と変わらず一人暮らしを続けながら、定期的に外来での作業療法に通う日々が続きました。

生活上で困ったことがあれば、すぐに私に相談してきてくれたので、その都度キヨさんの自宅に訪問して問題を一緒に解決していきました。

キヨさんの家は築100年以上経つかなり古い家で、段差も多く、あちこちにガタがきている状態だったので、私はキヨさんの体格に合わせて段差を楽に上がれる木製の台を作ったり、障子を開ける時に引っかかるレールのカンナがけをしたり、渡り廊下に滑り止めのマットを敷いたりして、少しでもキヨさんが暮らしやすいように工夫をしていきました。

 

「先生は何でも器用にしてんじゃねぇ」

 

と話すキヨさんは、いつも嬉しそうでした。

キヨさんの家に訪問して、いろいろな生活上の課題を一緒に考えて解決していく中で、キヨさんは私に戦前の話、戦時中の話、戦後の混乱期の話、なぜ一人暮らしをしているのかなどを話してくれました。

私はキヨさんに

 

「どうして私にそんな話をしてくれるのですか?」

 

と聞いたところ、キヨさんは

 

「だって、先生は人の話をよう(よく)聞いてくれるじゃろ。

よう(よく)聞いてくれるけん、よう(よく)話したくなるんよ。

相手の話をよう(よく)聞くことってなかなかできんもんよ。

私のわがままもよう(よく)聞いてくれてるし。

だから先生に話したくなるし、頼りたくもなるんじゃないかね。」

 

と茶目っ気たっぷりに話をされました。

 

月日が経つにつれて、キヨさんの活動範囲も徐々に広がっていき、華道や茶道や詩吟といったお稽古事の先生の仕事も再開したり、キヨさん自身が“密造酒(みつぞうしゅ)”と名付けたキヨさん秘伝の“ぶどう酒”を毎年こっそり譲ってくれたりしていました。

私が介護老人保健施設に行くことになった時には(リンク:『伝える・伝わる』ことの大切さ

 

「私は川本先生の“ファン”だから、私も先生がおるところに通うかね。」

 

と話し、介護老人保健施設内にある通所リハビリに通うようになりました。

通所リハビリでも、持ち前の明るさとたくましさで、通所リハビリを利用している利用者さんや職員のお姉さん的存在になっていきました。

 

キヨさんの体調が悪化する


 

キヨさんが体調を崩したのは、通所リハビリに通い始めて2年目の冬でした。

20年来あまり気にしていなかった持病の心臓病が悪化したものでした。

私はキヨさんが入院してからも、時間をみてはキヨさんの病室に行って、たわいもない話をしたり、また元気になったらどんなことがしたいかをキヨさんと話したりしていました。

キヨさんは弱音は一言も言わない人でしたが、ある日、私がキヨさんの部屋に行った時に、キヨさんから

 

「先生・・・・今度は何かダメなような気がするわ」

 

と思いがけない言葉が返ってきました。

 

「キヨさん、まだまだこれからじゃないですか。

また“密造酒”を作ってみんなに振る舞ってくださいよ」

 

と私は心の動揺を抑えきれない中、キヨさんに話しかけました。

キヨさんは少し笑って

 

「先生のそんな顔を見るのは初めてじゃわ。

もう少し私も頑張ろうかね。」

 

と言われました。

 

そんなある日、少し元気を取り戻したキヨさんが、病室を訪れた私をみて、茶目っ気たっぷりに

 

「長いこと生きてきていろいろな経験もさせてもらったけど、こうやって先生と話しながら生きることは結構楽しいかもね。

そして誰かを好きになることって、歳をとっていくつになっても喜びがあるよね。」

 

と話してくれました。

 

それがキヨさんとの最後の会話でした。

 

キヨさんのご家族からの伝言


 

キヨさんのお通夜に参列させてもらった時に、キヨさんの娘さんから

 

「何も言われなくても川本先生のことは母から十分に聞いています。

先生のいろんな想いも母を通じて理解しているつもりです。

母は先生のことを

『80歳台にしてできた彼氏』

と慕い、先生に出会えたことを本当に喜んでいました。

先生とともに過ごした日々をいつも嬉しそうに私たちに語ってくれていましたし、リハビリに関しても私たち以上に理解していましたよ。

母の口癖は

リハビリっていうのはね、一方的じゃダメなのよね。心と体をお互いのリズムに合わせてはじめて成り立つものだと思う

でしたよ。」

 

との話しを聞きました。

そして娘さんが

 

「おかあちゃん、よかったね。

一番会いたがっていた“彼氏”が来てくれたよ」

 

とキヨさんのご遺体に語りかけるように話す姿を見て、私は涙が止まりませんでした。

 

キヨさんが教えてくれたこと


 

病院や施設を退院して、在宅訪問などでフォローアップをすることになる方はたくさんいます。

そんな方々は、病院や施設でリハビリを受けて来られることが多いのですが、本人・ご家族に

 

「どんなリハビリを受けてきたのですか?」

 

と尋ねても、

 

「リハビリの先生任せにしていたから」

 

「専門用語が多くて実はよくわからないんです」

 

「お医者さんからも『あとはリハビリ次第』としか言われていないんです」

 

といった答えしか返って来ない時がしばしば見受けられます。

その度に、この方々とセラピストは、どんな課題や問題に一緒に向き合ったのか、この方々とセラピストとが共に過ごした時間は一体何だったのだろうかと思うことがあります。

私はこの問いかけに対する明確な答えをまだ出せないでいますが、迷った時にはいつもキヨさんを思い出して

 

「キヨさんだったらどう考えるだろう」

 

と考え、キヨさんとの出会いで私自身が学んだこと、すなわち

 

まず自分を信じて

 

そして初心に戻って何ができるかを問い

 

相手とじっくりと話をしてみることから行うこと

 

から始めています。

 

そしてキヨさんとの出会いと別れを思い出しながら

 

関わる相手やその周りにいる人たちと共に過ごす時間を大切にする

 

ことを常に自分の行動の基本にしています。

 

まとめ


 

今回は、キヨさんとの出会いと別れを通じて私が学んだことについてお伝えしました。

私たちを取り巻く問題や課題の多くは人間関係での悩みであると思います。

そんな悩みに直面した時に、

 

まず自分に何ができるかを問い

 

そして初心に戻って

 

相手とじっくりと話をしてみて

 

共に過ごす時間を大切にする

 

ことを試してみてはいかがでしょうか。

 

そしてそれが、自分が経験したことや、人との出会いから学んだことを生かせることにつながるのではないかと私は考えています。

 

キヨさん

キヨさんの一句

脳梗塞 時間はあるし ゆっくりと そろり新左(しんざ)で 人生楽しむ

 

 

きっと皆さんの中にも「キヨさん」のような存在の方はどこかに居られると思います。

今回の「キヨさん」の話が皆さんのお力になれることがあれば嬉しく思います。

 

最後までブログを読んでくださり、ありがとうございます!

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