こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。
今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、仏教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。
サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。
(*´▽`)ノノ
戦国武将の名前と仏教との関係
皆さんは次の戦国武将の名前を聞いて何を思い浮かべますか?
斎藤道三(さいとうどうさん:西暦1494年〜1556年)
武田信玄(たけだしんげん:西暦1521年〜1573年)
上杉謙信(うえすぎけんしん:西暦1530年〜1578年)
黒田如水円清(くろだじょすいえんせい:西暦1546年〜1604年)
「人間以外の生き物で例えられる人物!」
Σ((○゚∀゚σ)゚
と答えた方、なかなかの通(つう)ですね。
斎藤道三=美濃の蝮(みののまむし)
武田信玄=甲斐の虎(かいのとら)
上杉謙信=越後の龍(えちごのりゅう)
黒田如水円清=?
黒田如水円清以外は、名前とは別の異名(いみょう)でも知られていますね(『龍』は架空の生き物ですが)。
実は、名前をよく見ていただくと、ここに挙げた全員が、出家(しゅっけ)を意味する
法名(ほうみょう)あるいは戒名(かいみょう)
として知られていることです(日蓮宗では『法号(ほうごう)』として使われます)。
わかりやすく言うと、
戦国武将の名前を聞いて『音読み』で読む場合は出家をしていることが多い
ということです。
これは
法名あるいは戒名は『音読み』で読む
が基本的な決まり事だからです。
では、出家前の名前と比べてみると
<出家前>斎藤利政(とし・まさ:『訓読み』+『人名読み』)
→<出家後>斎藤道三(どうさん:『音読み』)
<出家前>武田晴信(はる・のぶ:『訓読み』+『人名読み』)
→<出家後>武田信玄(しんげん:『音読み』)
<出家前>上杉輝虎(てるとら:『訓読み』)
→<出家後>上杉謙信(けんしん:『音読み』)
<出家前>黒田(官兵衛)孝高(よし・たか:『人名読み』+『訓読み』)
→<出家後>黒田如水円清(じょすいえんせい:『音読み』)
となっていて、全員が『音読み』であることが分かりますね。
また、それぞれの死後におくられる名を見てみると
<生前>斎藤道三
→<死後>円覚院殿一翁道三日抬大居士神
<生前>武田信玄
→<死後>法性院機山徳栄軒信玄
<生前>上杉謙信
→<死後>不識院殿真光謙信
<生前>黒田如水円清
→<死後>龍光院殿如水円清大居士
と、生前の名前がそのまま使われていることが分かりますね。
戦国武将が出家をすることには様々な理由がありますが、名前を聞いて『音読み』しているのであれば、その人は出家をしていると言えます。
皆さんも気になる戦国武将の名前が浮かんだ時に、『音読み』をしているかどうかを一つの目安にして、仏教との繋がりを見つけてみてはいかがでしょうか。
<戦国武将ゆかりの寺院>
春日山 林泉寺(かすがさん りんせんじ)
明応5年(西暦1496年)に越後国高田(今の新潟県上越市)に建てられた曹洞宗(そうとうしゅう)という禅宗のお寺です。
長尾景虎(ながおかげとら:のちの上杉謙信)は天文7年(1538年)、7歳の時にこのお寺に入り、天室光育禅師の元で修行をします。元亀元年(1570年)、41歳の時に『不識庵謙信(ふしきあんけんしん)』の名を授かり、以後、上杉謙信として名を馳せることになります。
<1分半の動画で林泉寺の紹介をされています>
上杉謙信の死後、後を継いだ上杉景勝(うえすぎかげかつ)が慶長3年(1598年)に会津(今の福島県)に移封され、さらに慶長6年(1601年)に米沢(今の山形県)に移封され、それに伴って林泉寺も米沢に移ります(今回ご紹介するのは新潟県上越市の林泉寺です)。
新潟県・山形県のいずれの林泉寺も、地元の人々や上杉家を支えた人々の心の拠り所となっています。
所在地:943-0801 新潟県上越市中門前1-1-1
お問い合わせ:025-524-5846(TEL) 025-525-5006(FAX)
交通アクセス:林泉寺ホームページ
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