新米小坊主の小話 どんな相手でも平等に慈しむ心が大切

こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。

今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、密教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。

サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。

(*´▽`)ノノ

今日の『お大師さまゆかりの地』は、四国八十八ヶ所霊場第二十七番霊場 神峯寺(こうのみねじ)です。

(*^-^*)

 

どんな相手でも平等に慈しむ心が大切


 

仏教に古くから伝わっている根本的な教えの一つに

 

怨親平等(おんしんびょうどう)

 

という言葉があります。

テレビアニメ『呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)』の主題歌の『廻廻奇譚(かいかいきたん)』の歌詞の中に

 

怨親平等 に 没個性

辿る記憶 僕に

居場所などないから

<歌詞引用:UtaTen

 

と出てくるところで耳にした方もおられるのではないでしょうか。

 

怨念の

親しいの

そして平等

 

と書いたもので、本来の意味は

 

仏教の根本精神は大いなる慈悲であり

恨みを感じる敵であっても憎むべきではなく

親しい相手であっても特別に親しくするべきではない

どんな相手でも平等に慈しみ

(あわ)れむことが大事なのです

 

ということを表しています。

平安時代、お大師さまによって密教が日本に本格的に取り入れるようになると、この怨親平等は

 

不幸にも敵味方に分かれて激しい争いをしたからとしても

戦いが終わってからは敵味方の区別なく

両軍の戦死者を手厚く慰霊することこそ

その後の平和の礎(いしずえ)となる

 

と考えられるようになり、戦いの後には平和に向けた、勝ち負けを問わずに戦死者への鎮魂の祈りが行われてきました。

 

例えば、嵯峨天皇と平城上皇の争いからお大師さまも大きく関わることになった

 

薬子の変(くすこのへん)

 

では、お大師さまは戦で傷ついた人々や、敗れた平城上皇側の戦死者を弔い、霊を慰めるための祈祷をされたことは過去のブログでも紹介しています。

↓ ↓ ↓

 

また、鎌倉時代に元寇(げんこう)と呼ばれる、当時中国を支配していた蒙古(もうこ:現在のモンゴル)

 

文永の役(ぶんえいのえき:1274年)

弘安の役(こうあんのえき:1281年)

 

と2度にわたって日本に襲来した折に、時の鎌倉幕府の執権(しっけん)であった

北条時宗

(ほうじょうときむね:1251年〜1284年)

は、博多の沿岸で蒙古軍を2度に渡り敗退させたものの、蒙古軍をはじめとして日本側にも多大なる犠牲者を出しました。

蒙古軍との戦いが終わり、時宗は鎌倉に新たに円覚寺(えんがくじ)を建立し、中国から受け入れていた高明な僧侶であった

 

無学祖元(むがくそげん:1226年〜1286年)

 

を初代の住職としました。

円覚寺の建立の目的は、国家鎮護と禅宗への帰依とともに、蒙古軍との戦いで非業の死を遂げた

 

日本および蒙古の両軍の戦死者を敵味方の区別なく慰霊するため

 

に建立されたもので、まさに怨親平等の教えに基づくものでもありました。

 

他にも、室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)が京都に建立した

 

天竜寺(てんりゅうじ)

 

は、敵対した後醍醐天皇を菩提を弔うために建立した寺です。

そして高野山には豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加した際に薩摩藩を率いた島津義弘(しまずよしひろ)・島津忠恒(しまずただつね)親子が日本および朝鮮両軍の戦死者を弔うために建立した

 

高麗陣敵味方供養塔(こうらいじんてきみかたくようとう)

 

があります。

他にも日本の各地には、敵味方関係なく亡くなった方々の慰霊のためのお堂や供養塔があちこちに建てられており、今でも大切にお祀りされているのは、まさに

 

怨親平等

 

の教えに基づくものです。

 

コロナ禍にあって、人と人との間だけではなく、国と国との間の対立と協調が問われている世の中だからこそ

 

人と人との対立や不安を煽(あお)らず

国と国との争いを知らないこととせず

病によって亡くなる人々のことを他人事のように考えず

私たちの心の中に宿っている怨親平等の教えを忘れないこと

 

が今の時代にこそ大切なのではないでしょうか。

 

 

<お大師さまゆかりの地>

 

四国霊場八十八ヶ所

第二十七番札所

竹林山 地蔵院 神峯寺

(ちくりんざん じぞういん こうのみねじ) 

神峯寺は標高569.9mの神峰山の中腹(標高430m付近)にあり、四国八十八ヶ所で9番目の高さにあるお寺であり、遍路転がしと呼ばれる屈指の難所として知られています。

神峯寺山門

山門をくぐってからも険しい山道が続きます

神峯寺の歴史は古く、神功皇后(じんぐうこうごう:3世紀ごろ)の勅命によって天照大神(あまてらすおおみかみ)などを祀る神社が起源と言われています。

聖武天皇(西暦701年〜756年)の勅命によって行基菩薩(西暦668年〜749年)が天平2年(730年)に十一面観音像を彫刻して本尊として神峯寺を建立し、それまで祀ってあった神社と寺を合祀(ごうし)しました。

その後、お大師さまによって伽藍(がらん)が整備されました。

<約5の動画で神峯寺の紹介をされています>

明治元年の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)に伴って、天照大神などを祀る神峯神社だけが残り、御本尊である十一面観音菩薩像は一時期、第二十六番札所である金剛頂寺に預けられました。

一度は廃寺となった神峯寺でしたが、明治中期以降、少しずつ復興され、現在に至っています。

所在地:〒781-6422 高知県安芸郡安田町唐浜2594

お問い合わせ:0887-38-5495(TEL)

交通アクセス:四国八十八ヶ所霊場會

 

 

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