こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。
今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、密教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。
サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。
(*´▽`)ノノ
今日のアイキャッチの画像は、今回のブログでも紹介する高野山 壇上伽藍 山王院(こうやさん だんじょうがらん さんのういん)の正殿の写真です。
(*^-^*)
神様をお祀りする高野山
弘仁7年(816年)にお大師さまは嵯峨天皇より高野山を賜り、早速、伽藍(がらん:お寺のさまざまな建物)の建設に取りかかります。
現在、高野山にはたくさんのお堂や塔が立ち並んでいますが、お大師さまがまず真っ先に取りかかられたのが
神様をお祀りする御社(みやしろ)
でした。
御社は、高野山の壇上伽藍にあります。
御社は神様をお祀りしている神社でもあるので、御社の正面には神様を拝むための
山王院(さんのういん)
という名のお堂があります。
ここに祀られているのは
丹生都比売(にうつひめ)
高野明神(こうやみょうじん)
といった、元々この地におられた神様たちです。
お大師さまは高野山を開創するにあたって、まずはこの神様たちを高野山をお守りいただくための神様としてお祀りをして
七里結界(しちりけっかい)
という、密教の修法を用いて、悪いものや悪鬼・外道などが入ってこれないようにしました。
お大師さまのこの時の思いは『性霊集巻第九』にこのように記されています。
高野山の東西南北の四方八方上下、その全てにおいて、あらゆる一切の仏法を破壊する障害魔神や悪鬼神は、皆ことごとく、わたしの七里結界の外に出ていけ。
もし仏法を守護し、利益をもたらす八部衆の中の天・龍などの神々は、思うがままに高野山にあって、仏法を守りたまえ。
お大師さまはさまざまな場所での修行をしていく中で、日本に古くから伝わる、自然界のあらゆるものに霊魂が存在するという
アニミズム
の思想や、密教で広く説くところの
山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)
を体感され、自然やそこに宿る神様仏様に対して、とても強い尊崇の念を持っていたことから、高野山を開くにあたって、まずはこの地の自然と神様を祀ることを決められたと言えます。
現代の高野山が
紀伊山地の霊場と参詣道
の一部として、世界遺産に登録されていることからも、お大師さまは神様と仏様が融合された
神仏習合(しんぶつしゅうごう)
の思想を、高野山の開創に合わせていち早く取り入れられ、高野山を国家守護と衆生救済のために神様と仏様に祈願する場所としたと言えます。
また、高野山を真言密教の僧侶の修行の場として、神様と仏様の御加護をいただきながら、日々世のため人のために力を尽くすようにという思いも込めて創られているのです。
<高野山の御社>
本殿の向って右から「丹生明神社(一の宮)」、真ん中に「高野明神社(二の宮)」、左に十二王子百二十番神を祀る「総社(三の宮)」が並んで建っています。
日本人が、神様も仏様も等しく尊敬の念を持ってお参りし、土地神さまや氏神さまを大切にするという姿勢は、お大師さまの時代から現代に至るまでずっと日本人の心に宿っていると言えるのではないでしょうか。
<お大師さまゆかりの地>
高野山 壇上伽藍 山王院
(だんじょうがらん さんのういん)
壇上伽藍はお大師さまが高野山をご開創された時に、真っ先に整備へ着手した場所として知られています。
その中でも、今回ご紹介した御社(みやしろ)をお祀りしている山王院(さんのういん)は、お大師さまが嵯峨天皇から高野山を賜った3年後の弘仁10年(819年)に完成しています。
<約8分の動画で壇上伽藍の紹介をされています>
壇上伽藍は山王院の他に、中門(ちゅうもん)、金堂(こんどう)、大塔(だいとう)、准胝堂(じゅんていどう)、六角経蔵(ろっかくきょうぞう)、御影堂(みえどう)など、高野山を象徴するお堂と、お大師さまにゆかりのある場所が数多く存在しています。
所在地:〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町大字高野山132
お問い合わせ:073-656-2011(金剛峯寺)
交通アクセス:高野山金剛峯寺ホームページ
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