『終活』における意思表示 医療行為との関係

こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。

いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

前回のブログから、新シリーズ

 

『終活(しゅうかつ)』

 

についてお伝えしています。

人生の終わりについて考えることは、諦めやマイナスのイメージだけではなく

 

今をどう生きるか

 

にも関係してくることもお伝えしています。

『終活』シリーズの第2回目の今回は、『終活における意思表示 医療行為との関係』についてお伝えします。

今回の話は医療に関する話が多く、大変分かりにくい表現も含まれていますので、難しいと感じられた場合は気になるところだけを読んでいただければと思います。

 

『終活』における医療行為


 

『終活』では多くの人が

 

必要以上の医療行為あるいは効果が期待できない延命治療を望んでいない

 

と回答されます。

そして

 

心肺停止状態になって延命治療を望んでいなければ安心して旅立つことができる

 

と思っておられる方も少なくありません。

でも、いざその時になると『終活』をしてきた本人は

 

意識が朦朧(もうろう)

 

もしくは

 

意識がなくなる

 

ことがほとんどです。

そのため、『終活』をしてきた本人ではなく

 

家族もしくは本人の意思を法的に受け継いでいる方が本人の医療行為を決める

 

ことがほとんどです。

 

「だから『終活』で自分の意思表示をしておくんでしょ」

(*´・ω・ノ)ダヨネ…

 

と言われます。

でも、果たしてそれで十分に自分の意思表示ができて自分の思うような医療行為に繋がっているのでしょうか。

 

医療行為に対する意思表示

『終活』に関係する医療行為でよく聞かれるのは次のような内容です。

 

「私は体中をチューブで繋げられるくらいなら、延命治療をして欲しくないです」

「助かる見込みがないなら、無理な治療をして欲しくないです」

「状態が急変して心停止をした時には無理に心肺蘇生(CPR)をしないでください」

m(_ _)mオネガイシマス…

 

といったことです。

こうした話は大きく分けて

 

①心停止するまでの医療行為

②心停止後の医療行為

 

に分けることができます。

このうち、②の状況、すなわち

 

状態が急変して心停止をした時に無理に心肺蘇生をしないで欲しい

 

といった意思表示のことを

 

DNRもしくはDNAR

 

と言い、この言葉は容体が急変して病院に搬送後、もしくは在宅での最期を迎える時によく用いられます。

 

DNRとDNARとは

DNRとはDo Not Resuscitateの略称で

 

蘇生するな

 

という意味です。

これは

 

容態が急変して心停止に至っても心肺蘇生法を行なわないで静かに看取って欲しい

 

ということであり

 

胸郭圧迫による心臓マッサージ

マスク換気

AEDの使用

蘇生のための薬物の使用

 

といった行為を行わないことです。

 

一方、DNARはDo Not Attempt Resuscitateの略称で

 

蘇生を試みるな

 

という意味です。

これは

 

蘇生の可能性が元々低いので蘇生を試みる事を控えて欲しい

 

ということであり、蘇生可能性の少ない(ない)患者に対してのみ適応されることであって

 

蘇生の可能性がある患者にまで適応するものではない

 

ところがDNRと少し異なる点です。

近年では、DNRもDNARもその歴史的背景と現状とを踏まえて

 

心停止に対して心肺蘇生を行わない

 

というところで共通の認識になってきていますが

 

DNR・DNAR

 

という言葉だけが一人歩きしてしまい、必要な医療行為までも行われない、または必要以外の医療行為までもが行われてしまうといった問題点が浮き彫りになってきています。

 

DNRとDNARの問題点

DNRとDNARの問題点は以下の6つをあげることができます。

DNRとDNARの問題点に関しては、問題点の性質が似ていることもあるため、ここでは

 

DNR/DNAR

 

と表記します。

 

1.DNR/DNARのマニュアルが十分に整備されていない

DNR/DNARに関する

 

倫理委員会

 

などを設置している病院・医療機関は全体の

 

9割

 

近くあるものの、マニュアルを整備している病院医療機関は

 

3割程度

 

に留まっているのが現状です(2017年時点)。

そのため、実際にDNR/DNARを行う場合に

 

医師が個人で判断してしまう

協議内容が記録されていない

蘇生行為以外の医療行為にまで影響を及ぼしている

 

といった問題点が指摘されています。

 

2.DNR/DNARが拡大解釈されている

よく誤解されてしまうのが、DNR/DNARにおいては

 

心停止に対して心肺蘇生を行わない

 

のであり

 

通常の医療・看護・ケアは行わなければならない

 

ところを拡大解釈して

 

医療的行為を何もしない

 

間違って捉えられてしまっているところです。

先ほどお伝えしたマニュアルの整備ができていないことでの問題でもありますが、必要であればDNR/DNARの意思を示していたとしても

 

薬剤投与(痛みや苦痛を和らげるなど)

栄養投与

創部処置

呼吸器設定管理

 

などは行わなけれななりません。

 

3.DNR/DNARの決定までのプロセスが医師の判断による傾向が高い

いざという時に心肺蘇生をするのかしないのかといった決断を医師に委ねる傾向が強く

 

そもそも誰がどこまで望んでいる医療行為なのか

 

が不透明なまま医師が決定せざるを得ない(あるいは決定してしまう)ことになっているのが現状です。

 

4.年齢や介護度などでDNR/DNARを決められてしまうことがある

本人の意思よりも

 

生命・生活予後

 

だけでDNR/DNARが判断されてしまうことがあるため

 

「もう歳なんだから仕方ない」

「このまま蘇生しても寝たきりだし・・・」

(*´ノд) ダヨネー

 

といった

 

本人以外の人の思惑でDNR/DNARが決められてしまう

 

といった傾向があります。

 

5.DNR/DNAR決定者の葛藤

ブログのはじめの部分でもお伝えしましたが、『終活』をしている人の多くは

 

必要以上の医療行為あるいは効果が期待できない延命治療を望んでいない

 

と回答され、そして

 

心肺停止状態になって延命治療を望んでいなければ安心して旅立つことができる

 

と思っておられます。

しかし実際には本人が必要以上の医療行為を行って欲しくないと望んでも

 

その医療行為を本当にやめていいのかわからない

 

のが実情のようです。

実際に、本人の意向を汲んだ上で医療行為の中断を決定したとしても、その決定をした人(その多くは家族)は

 

「自分がその人の生命を決めたのが果たして良かったのだろうか」

o(-_-;*) ウゥム…

 

といった

 

強い葛藤にさいなまれる

 

ことも多く、精神的なストレスを長年抱えてしまうことも珍しくありません

欧米のように、本人の意思を尊重しないことが問題視される文化ではなく、日本人は特に

 

察しと思いやり

 

といったYES/NOで簡単に割り切れない文化的背景があるだけに、DNR/DNARを決めた人への心のケアがまだまだ大きな課題として残っています。

 

6.DNR/DNARを実際に行ったあとで訴訟となるケースがある

本人の意向として、DNA/DNARが行われたとしても、その後になって病院側や医療従事者側を訴えるということもあります。

その多くは

 

DNR/DNAR決定までのプロセスが不透明

 

なのが原因ですが、たとえ本人・家族の意向を踏まえていたとしても

 

親族や関係者から訴えられる

 

こともあるため、医療者側としてもDNR/DNARが示されていたとしても、慎重にならざるを得ないところもあります。

 

結局のところ、DNR/DNARは意思決定の枠組みのごく一部でしかないので

 

本人・家族も含めたコミュニケーション不足

 

に陥りやすく、結果的に

 

望まない医療行為の継続

必要な医療行為そのものまでも中断してしまう

 

といった危険性をはらんでいることを知っておいていただきたいと思います。

 

医療行為への意思表示は『終活』のごく一部分


 

ここまでお伝えした内容は、『終活』における医療行為において避けて通れない課題であることですが、それと同時に

 

DNR/DNARを含む医療行為への意思表示は『終活』のごく一部にしか過ぎない

 

ということでもあります。

そしてDNR/DNARはあくまでも

 

心停止後の医療行為

 

のことを指すだけなので、本来は

 

心停止するまでの医療行為

 

についてもしっかりと本人・家族の意思を確認するために医療従事者とともに

 

普段からしっかりとコミュニケーションをとっておく

求める医療行為について記録に残しておく

残している記録をいつでも変更できるようにしておく

変更内容を共有できるようにしておく

 

ことが大切になってきます。

『終活』における医療行為については、人生の最期を迎えるギリギリまで具体的な話しがされないことも多く、医療従事者から話を切り出されても

 

「私はまだまだそんなことを考えたくない!」

ハァ?( °᷄д°᷅)

「そんなに病状が悪いんですか!?」

(゚Д゚)ハァ?

「なんでそんなに急かすのですか?」

ンデダヨ(o´Å`)=з

 

と言われることも多いのが医療現場の実情です。

でも、いざという時に最も混乱するのが

 

医療行為

 

であることを理解していただきたいと思います。

 

まとめ


 

今回は『終活』シリーズの第2回目として『終活における意思表示 医療行為との関係』についてお伝えしました。

今回は医療に関する用語も多く、分かりにくかったところもあると思います。

<(_ _)>スイマセン…

でも『終活』を考える上で

 

医療行為

 

は避けて通れないところです。

そしてその医療行為が行われる時には『終活』をしてきた本人ではなく

 

家族もしくは本人の意思を法的に受け継いでいる方が本人の医療行為を決める

 

ことがほとんどです。

そして医療行為には

 

心停止するまでの医療行為

心停止後の医療行為

 

の2本の柱があり、どちらについても、本人・家族・医療従事者との

 

しっかりとしたコミュニケーションが欠かせない

 

ことをご理解いただけたらと思います。

この『終活』シリーズを通じて、自分自身あるいは身近な人と『終活』について話をしてみて、これからの人生の過ごし方について少し考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

皆さんの貴重なご意見・ご感想、大変参考になりますので、お気軽にコメントなどいただけると嬉しいです。

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