こんにちは。広島の作業療法士の川本健太郎です。
今日は、高野山真言宗 僧侶の川本祐道(ゆうどう)として、仏教に関するちょっとした小話(こばなし)をします。
サクッと読めるように心がけていますので、お気軽に読んでみてください。
(*´▽`)ノノ
祇園精舎の鐘の声は○○だった?
皆さんも国語や歴史の授業でなんとなく学んだことのある
平家物語(へいけものがたり)
には、とても有名な一節があります。
祇園精舎の鐘の聲(声)、諸行無常の響あり
ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり
という部分は、国語や歴史や仏教にあまり詳しくなくても、どこかで耳にしたことがあると思います。
ところで、この
鐘の聲(声)
と聞いて、皆さんはどんな音を思い浮かべますか?
「そりゃ、『ゴォーン』っていう音なんじゃないの?」
(。-`ω´-)ナニイッテンノ?
と言われる方も多いのではないでしょうか。
祇園精舎は仏教が誕生した
インド
で最も早い時期に建てられた寺院で、今も現存しています(元々はインドのマヘート遺跡にあったと推測されています)。
実はその鐘は、日本に伝わっているような青銅で作られた重々しいものではなく
木製
だったと言われています。
これは
カンチー
と呼ばれるもので、僧侶たちの
起床時間
仏事を行う時刻
などを知らせるために使われていたもので、鐘というよりもどちらかというと
木魚(もくぎょ)
のようなものに近く、その音は『ゴォーン』ではなく
ポクポク
だったと言われています。
Σ(゚Д゚)マジッスカ!?
例えるならこんな感じですね ↓ ↓ ↓
インドから中国に仏教が伝わる過程で、カンチーが青銅で作られるようになり、それが日本でさらに改良されて
和鐘(わしょう)
と呼ばれる現在の形に進化したと言われています。
つまり
祇園精舎の鐘の声は木魚だった
のです。
!?(゚〇゚;)マ、マジ…
ちなみに、元々『鐘』の無かったインドの祇園精舎には、2004年に日本から『梵鐘(ぼんしょう)』と『鐘楼(しょうろう:梵鐘をつるす建物)』が寄付されています。
<参考出典:Wikipedia>
『平家物語』が作られたのが鎌倉時代(1192年もしくは1221年〜1333年)であり、日本最古の和鐘は698年に作られた京都の
妙心寺の鐘
と言われているので、平家物語の作者は
遠くインドにある祇園精舎の鐘と日本の鐘とに思いを重ね合わせていた
のかもしれないですね。
<お大師さまゆかりの地>
四国霊場八十八ヶ所
第十五番札所
薬王山 金色院 國分寺
(やくおうざん こんじきいん こくぶんじ)
国分寺は、仏教に深く帰依(きえ:すがること)した聖武天皇(西暦701年〜756年)が天平13年(741年)に国家安泰・五穀豊穣・政教一致・地域文化の向上などを祈って、勅命によって全国68ヶ所に国分寺・国分尼寺を創建しました。
第十五番札所の國分寺は、『阿波國分寺(あわこくぶんじ)』と呼ばれ、聖武天皇から賜った釈迦如来の尊像と『大般若経』が納められ、聖武天皇の妃である光明皇后の位牌を祀っていたとされています。
開山は行基菩薩(西暦668年〜749年)でみずから薬師如来を彫刻して本尊とし、今も御本尊は薬師如来です。
<約3分半の動画で國分寺の紹介をされています>
最初は法相宗(ほっそうしゅう)の寺院でしたが、弘仁年間(西暦810年〜824年)にお大師さまが四国霊場の開創のために巡教された際に真言宗に改められました。
しかし、戦国時代の兵火によってほぼ全ての建物が消失し、寛保元年(1741年)に阿波藩の奉行であった速水角五郎によって伽藍が再建されて以来、現在は曹洞宗の寺院となっています。
所在地:〒779-3126 徳島県徳島市国府町矢野718-1
お問い合わせ:088-642-0525(TEL)
交通アクセス:四国八十八ヶ所霊場會
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