『将棋』から学んだ人生のこと〜他人の視点で自分をみて考える〜

私は小学校3年生の頃に『将棋』をはじめました。

その頃は、ただ『覚えたてのゲームで遊ぶ』あるいは『勝つか負けるか』しか考えていなかったように思います。

でも、私に『将棋』を教えてくれたじいちゃんとのやり取りを通じて、『将棋』から『他人の視点で自分をみて考える(客観的に自分を見る)』ことの大切さを学び、それは今の自分の仕事や生き方にも非常に大きな影響を与えてくれました。

そんな『将棋』との出会いとじいちゃんから学んだことをお伝えしようと思います。

 


『将棋』との出会い


私が『将棋』をはじめて知ったのは、小学校3年生の時。

京都に住んでいるじいちゃんが一人で将棋盤を見ながら黙々と将棋を指しているのを見た時が最初でした。

「じいちゃん、何してるの?」

「将棋」

面白い?」

「面白くないことをするほど暇じゃない」

「将棋教えて」

「自分で調べろ」

     チーン・・・・。

 

 

小学生にその受け答えはなかろうと、とっても落ち込みました。

 


私のじいちゃんのこと


 

じいちゃんは明治生まれで国語の先生を長年してきたこともあり、とても厳しい人でした。

普段は京都でばあちゃんと一緒に暮らしており、たまに親戚みんなが集まる時も、じいちゃんは普段と変わらず『家の主(ヌシ)』として、家の中で一番堂々としていました。

 

たとえば

食事時には、じいちゃんが席に座るまでに皆が席に座っていないといけない。

じいちゃんが「いただきます」と言ってから、みんなも「いただきます」を言う。

じいちゃんが箸を使い始めてから、皆も箸を使い始める。

食事中は一切の会話なし。

じいちゃんが「ご馳走様でした」と言うまで、たとえトイレに行きたくなっても途中で席を離れてはいけない。

とにかく、じいちゃんと接するときは緊張することが多かったです。


じいちゃんとのやり取りとアドバイス


 

将棋も、一人で盤上を見て、一人で指していることが多く、あたかも相手がそこにいるかのように将棋を指していました。

「自分で調べろ」と言われたので、じいちゃんの書斎とかで将棋の本を探しました。

何冊も置かれた将棋の本を見ると。

「何が書いているのかさっぱり分からない・・・」

小学校3年生に読めるような本などなく、やる気はどんどん無くなる。

落ち込んでいる姿でじいちゃんを恨めしそうに見ていると、さすがに何かを感じたのか、

「将棋の駒の並べ方と動かし方から学びなさい」

と、ボソリ。

近所の本屋さんに行って、「将棋の駒とか動かし方わかる本ある?」と聞くと、お店の人はとても薄い将棋の本を取り出して「このくらいなら読めるだろ」と言って渡してくれました。

家に帰って駒の並べ方や駒の動かし方、駒を取ったらどう使うのか、「成り」で金と同じ意味になる駒のこと、飛車と角は成るとそれぞれ龍と馬になることなど、基本中の基本を覚えました。

覚えたてのものはすぐに使ってみたいのが子供心で、じいちゃんに

「じいちゃん、一緒に将棋しよ」

「座りなさい」

駒を並び終える頃にはドキドキと嬉しい気持ちが込み上げてきて、

さあ、対局開始!

結果、

50手もしないうちにあっさり敗北

子供といえど容赦ないじいちゃん。

「もう一回しよ。今度はうまく指せるよ」

「わかった」

再挑戦。

40手敗北・・・。

さっきよりもより早くより短い手数で負けてしまいました。

 

 

思わず悔しくて大声で泣いてしまい、

「こんなん、面白くない!」

と言ってその場を立とうとしました。

「ちょっと待てぃ。まだ終わっておらん。」

「は?」

「なんでお前が負けたのか、知りたくないのか?」

「教えてくれるの?」

「将棋には最初から最後までの振り返りをして、よかったところや悪かったところなどをお互いに伝える『感想戦』というのがある。お前の将棋の仕方がどうだったのか、振り返って見るぞ」

じいちゃんは私の駒組みの仕方、駒の動かし方、相手の駒の動きの見方、取った駒の使い方など、負けた理由を一つずつ説明しながら話してくれました。

それでも小学校3年生の頭に一度に入る内容でもなく、とりあえずまだまだ下手くそということだけはよく分かりました。その上で、

「なんでじいちゃんは一人で将棋が指せるの?」

「一人じゃない。将棋盤の向かいにはわしが座っている。わしはわしと戦ってるんだ」

 

は?

 

当時小学生の私にはさっぱり分かりませんでした。

ただ、自分一人でも将棋が上達できる方法があるように思い、じいちゃんの家から自宅に戻ってから、おもちゃの将棋盤を前に自分を相手に将棋を指してみました。

最初はなんだか変な気分だったのですが、だんだん面白くなってきて、しばらくは一人で将棋を楽しんでいました。

 

 


『将棋』を通じて他人の視点で自分をみて考える(客観的に自分を見る)


 

一人で将棋をしている時に感じたのは、もう一人の自分がいることを考えて将棋をすると、どこか少し離れたところで自分二人の将棋を冷静な他人の視点で自分を見ている自分がいるように思いました。

将棋から最初に学んだことは、目の前にあることに専念するとともに、少し離れた視点で冷静に自分を見つめることや、相手の目線でどのように見えてるのかといった他人の視点で物事を見て考える(客観的に物事を見る)ということでした。

この視点は、後々の自分の経験に大いに生かされています。

みなさんも、何かに熱中しつつも、少し離れたところから自分を冷静にみて、他人の視点で物事をみて考えるようにしていくと、案外答えに困っていることへの解決策が見つかるかもしれないですね。

最後までブログを読んでくださり、ありがとうございます!

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