私(左側)・妻(右側)

 

こんにちは。川本健太郎です。

私は16歳の時に、右足に骨肉腫という腫瘍を患い、抗癌剤の投与を中心に1年間闘病生活を送り、闘病生活の折り返しの地点で、右太腿を1/2以上で切断し、義足での生活と車椅子での生活を併用しながら、当時通っていた高校に一日でも早く復学したいとの思いで、懸命にリハビリテーションを行っていました。

16歳当時、硬式テニスでインターハイ手前まで行けることがほぼ確実だった私に襲い掛かった病気。私はテニスへの夢と一緒に自分の右足も失いました。

スポーツが得意で、『球技』と呼べるものはなんでもしてきて(バスケットボールだけは苦手でしたが)、とにかく走ることが好きだった私にとって、病気とその後の体の状態は「翼を折られた」と言っても過言ではなかったです。

入院中のリハビリテーションは、とにかく歩く練習で、当時は義足のソケットの適合も今ほど発達していなかったので、股やお尻や足の傷口に激痛が走りながらも周囲からは「頑張れ」の一言で片付けられていたように思います。今思えば、周囲は他にかけてあげる言葉がなかったんだろうなと、作業療法士になって改めて思いましたが、当時は「そんなに頑張れっかよ」と半ば諦めていました。

義足歩行にいいかげん諦めていたときに、ある義肢装具士さんと出会いました。その方とお話をしていて、今までの自分の思い、義足に対する辛い気持ち、このままこんなに痛いことが続くなら、もう歩くのは諦めると正直に伝えました。

義肢装具士さんは黙って私の話を聞きながら、最後にこう言われました。

君は、歩くのが嫌なのかい?それとも義足が嫌なのかい?

最初は「何言ってるんだこの人?」って思ったのですが、私は「義足が嫌なんです」と答えました。その返信を待っていたかのように、義肢装具士さんは

だったら、痛くなくすればいい。僕にはそれができるよ。一緒にやってみようよ、と言われました。

半信半疑、その義肢装具士さんの話を聞いていると、まだ日本ではそこまでメジャーになっていないソケットの作成方法だが、海外ではかなり使われるようになっている技術があること、膝の継手もどんどん良い製品が出されてきていること、細かい採型と適切なフォローアップができれば、今よりも断然義足が嫌でなくなり、そのことが結果的に歩くことへのモチベーションを高めるし、行動範囲も広がることなど、たくさんのことを教えてもらいました。その上で、

まずは、やってみようよ。君一人じゃない。みんなで君が1日でも満足して歩けるように全力でサポートするから。と言われました。

まず、やってみる。

これまで、この言葉は「その場しのぎ」のように思っていたことが、とても心に響きました。それは、ただ単にやってみることで何の結果もわからないことをさせるのではなく、適切な情報と適切なアドバイス、そして何より「熱意」があれば、最初の一歩を踏み出すことは案外難しくない、そのために色々な人とのネットワークは持っておく必要があると思いました。

それからのリハビリテーションは辛いこともありましたし、いきなり体育館のようなところで「走れ!今の君のそのソケットと膝継手だったら絶対大丈夫だから」と言われて全力で走ってズッコケたこともありました。でも、気持ちは爽やかでした。なぜなら、私は一人じゃないからでした。

この経験は、今でも私の仕事や人付き合いや勉強方法にとても役立っています。その義肢装具士さんが最後まで変えなかった姿勢は、

君の望むことに添って僕らはサポートするんだよ。だから良いことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも言葉に出して言ってごらん。その上で、できることとできないことを一緒にやっていこうよ

ということでした。

その後、私は短期大学を経て作業療法士になり、病院での作業療法部門の開設(正式には休設からの再開設)を行い、その後、同じ法人内での老人保健施設の開設から在宅訪問までの部門の開設にも携わり、リハビリテーション部門の管理者にもなり、家庭の事情などもあって職場を変わることもありましたが、一般病院・リハビリテーション病院・訪問リハビリテーション・大学講師・大学病院の救命センターといった職場での数多くの出会いと数多くの経験をさせてもらえました。そんな経験ができたのも、あの義肢装具士さんとの『一緒にやろう』の言葉とその姿勢が根底にあったからだということは言うまでもありません。

もちろん、今でも遊びもたくさんしていますし、仕事につながる本(専門書は言うまでもなく、漫画、ビジネス本、人生や生き方に関する本、経済に関する本など)を読んだり、相手が求める技術を活用するために将棋、ゴルフ、園芸、果ては庭木の剪定まで真面目に取り組んだり、旅にいったりして大好きなお酒を満喫させてもらったりしながらも、何気なく見ている光景の中であっても、どこか頭の隅っでは「このネタ使えそう!」と閃く場面が多いです。

『まずはやってみること』

『一緒にやってみること』

「熱意を持って取り組む』

『ちょっとの出来事でも何かに使えないかのアンテナを張っておく』

『ネットワークをたくさん持ち、同じくらいフットワークも使う』

仕事をしながら、妻(理学療法士)にも巡り会うことができました。最初は「職場の同僚」、次に「戦友(同期がたくさん辞めて行ったこともあります)」、次に「恋人」、次に「夫婦」となり、気づけば知り合って19年(2019年時点)で結婚して14年になります。そしてなかなか子供が授からなかったのですが、ようやく子供が授かって、今は私と妻とちょっとおしゃまな娘と3人で暮らしています(子供が授からなかったことに関しては、また機会があればブログに書きますね)。

仕事もキャリアもそれなりに積んでくると、多くの方々から様々な相談を受けることも多いです。

障害を持っておられる方やそのご家族からも多くの相談を受けます。職場内での色々な問題に関する相談を受けることもあれば、医療・介護・福祉の専門分野の方や行政からの相談も受けることがあります。町おこし・地域おこしのアイデアを出すことや一緒に参加してもらえないかといった依頼もあります。

そのときに、必ず心がけているのが、「まず、相手が何を求めているのか。情報共有なのか、状況共有なのか、ただ話を聞いて欲しいのか、一緒に何かに取り組んで欲しいのか、とにかく相手の話を聞こう」というスタンスです(無論、妻も同様です)

その上で、圧倒的に情報が少ない、情報が氾濫しすぎていて何を参考にしたら良いかがわからない、制度がどんどん変わっていってついていけない、といった情報の取り扱いに困るケースも増えてきています。

そんなときに、「ああ、この人はこんなことをしてきているなら、ちょっと気軽に聞いてみようか」と思えるようなブログを発信できればと思い、このブログを開設しました。

障害には本当に多様性があり、個人個人の状況に応じたきめ細かいフォローアップが必要であることはもちろんですが、自身の特性を生かした方法を選択することで、体や気持ちが動かない時でも、自分なりに人生を楽しめる方法があることを知ってもらいたいのです。これは、障害の有無に関係なく、多くの方にも同じことが言えると思います。

私と妻はそれぞれ作業療法士・理学療法士でありながら、私達の持っている、知恵と経験とネットワークとを最大限に生かして、より人生を楽しく過ごすための情報をシェアするためにこのサイトを運営しています。

働き方に関しては、ネット社会が入ってきてから急速に働き方が変わってきている一方で、それを扱う『人』がまだどのような流れに乗れば良いのか、どうすれば良いのか、不安に思うことの方が多いと思います。

そんな方々に、このブログが少しでもお役に立てることができ、皆様からのコメントがより皆様の幸せに繋がるよう、お手伝いができれば、喜びもひとしおです。

名前 川本健太郎

出身 広島県

■生年 1974年(昭和49年)

■家族 妻と1女

■キャリア

  • 作業療法士 20年 保健学修士
  • 病院(超急性期・回復期・療養病床) 9年
  • 介護保険施設(老人保健施設)3年
  • 大学講師 1年半 
  • 地域生活支援(訪問看護からの訪問リハビリテーション、地域支援事業、まちづくり事業、通所系サービス事業所支援)7年半
  • 訪問リハビリテーションおよび医療・保健・福祉に関するコンサルタント(現在) 
  • 高野山真言宗僧侶(僧名:祐道 ゆうどう)

■尊敬する人 黒田官兵衛(如水円清)

■好きな言葉 「一所懸命」

■保有資格

  • 作業療法士
  • AMPS(ASSESSMENT OF MOTOR AND PROCESS SKILLS)認定評価者
  • ESI(Evaluation of Social Interaction)認定評価者
  • ACQ-SI(Assessment of Compared Qualities -Social Interaction)認定評価者
  • 認知運動療法研究会アドバンスコース受講(修了)
  • 地域リハビリテーション専門職等人材育成研修修了
  • 訪問リハビリテーション実務者研修会修了
  • 福祉住環境コーディネーター2級